「こえだちゃん」から「ガムラツイスト」、「パロ伝」、「子育てクイズ」そして「ガム女学園」へ! 日本のホビー文化を裏から支え続けるスタジオメルファンの足跡を辿る桜井勇社長インタビュー!

皆さんは有限会社スタジオメルファンをご存じだろうか?

同社は、「こえだちゃん」をはじめとする数多くの女児向けおもちゃパッケージやキャラクター、「パロ伝」をはじめとする男児向けトイのデザイン。さらに「ガムラツイスト」「ラーメンばあ」をはじめとするおまけシールのデザインから、美少女ゲームのキャラクター。果てはムーミンやディズニーキャラクターといった世界的キャラクターの公式イラストを手がけるといった具合に、1977年の創業以来日本のトイ&ホビー文化を陰ひなたから支え続けてきたデザイン会社である。

 

現在、往年の大ヒットおまけシール「ガムラツイスト」「ラーメンばあ」の精神的続編にあたる「ガム女学園」シールが絶賛販売中でもあるということで、今回は創業者・桜井勇社長へのインタビューを行った。

当日は、「ガム女学園」「真おくのほそ道」など、おまけシール事業をメルファンとともに行っている株式会社ワイエスコーポレーションの保坂朋章社長も同席。

スタジオメルファンのこれまでとこれからについて語っていただいた。

 

スタジオメルファン・桜井勇社長

アニメーター、劇画から「こえだちゃん」へ

──桜井さんのキャリアの始まりを教えてください。

 

桜井 もともと7年間、東映動画でアニメーターをやっていたんです。「タイガーマスク」や「キックの鬼」、初代の「ひみつのアッコちゃん」とか作っていました。リアルタッチな絵からかわいい絵までなんでもやらされましたね。

今でこそ最初からアニメーターを目指す人も多いけど、当時は漫画家を目指してる人がアニメを作っていたんですよ。もともと手塚治虫さんとか水野英子さんになりたいという人が多かったんだけど、漫画じゃなかなか食えない。そんな頃にアニメが作られ始めて、絵を描ける人が引く手あまたになったんだよね。今はそんなにもらえないけど、当時はけっこう給料をもらえたものだから、お金につられてアニメーター志望の人がどんどん業界に集まってくる。そんな時代でした。

でもアニメって分業でしょ。絵だけ描いてると、ストーリーも作りたくなってきたんです。そんなわけで、並行して劇画も7年くらいやっていました。その中で「縛り絵」なんかも描いたりして。

 

──縛り絵!?

 

桜井 当時「SMセレクト」(東京三世社)って雑誌があって、縛り絵の劇画をそこで描いてたの。僕の劇画はそんなに受けなかったけど、縛り絵だけは「色っぽい」って評価されてたんです。当時の雑誌は残ってるけど、これはあんまり人には見せられないな(笑)。でも、そういうのに疲れて、今度はかわいい絵を描こうと思ったんだよね。当時はサンリオのキャラクターが出てきて、ファンシーなキャラクターが流行り始めたんです。

その頃は東映や企画者104と組んで、「花の妖精 フェアリーフェイブル」をデザインし、レコードジャケットやその他ファンシーグッズのイラストを制作していました。

 

花の妖精フェアリーフェイブル

当時のイラスト

──ハードな劇画とアニメーターのかけ持ちはやはりきつかったですか?

 

桜井 そうですね。それに、周りはうまい人ばかりだったしね。これはもうだめだなって。で、かわいい路線にシフトしました。かわいいのは、楽でいいなって(笑)。

それで講談社に売り込みに行ったりもしたんだけど、最初は小さいカットくらいしか仕事をもらえないんだよね。「おともだち」(講談社)の読者誕生日のページの1色カットを描いていました。毎月、講談社に打合せに行くたび編集長から「原稿料が安くて悪いね。そのうち桜井さんに合う仕事を頼むから」と言われ続け1年間ぐらい経った頃 面白い話があるんだけど連載やってみない?と声がかかって、それが当たったんです。

 

講談社への持ち込み用に描かれたイラスト

こえだちゃんと木のおうち

雑誌掲載時の「こえだちゃんと木のおうち」

──それが「おもとだち」で連載された「こえだちゃんと木のおうち」ですね。 これはタカラのおもちゃが先にあったんでしょうか?

 

桜井 そう。ツリーハウスっていう外国のおもちゃがあったんですが、それを売るために「こえだちゃん」っていうキャラクターを作って雑誌展開しようという流れでした。その後、連載の人気が出てきて、タカラのおもちゃも売れて、この頃からすごく忙しくなりましたね。

だからメルファンのモットーは、「どんなに安くても仕事は断らない」なんです。いくら忙しくても、桜井は絶対に断らないってことで業界内では知られていましたから。

 

 

──真摯に仕事に向き合った結果、「こえだちゃん」と巡り会えたんですね。

 

桜井 最初は木の家とこえだちゃんだけだったけど、そのうちにキノコとか星の家とか、自然をモチーフにしたキャラクターや物が増えていって、それもまた受けましたね。

ただ当時、僕は絵も営業も全部やっていましたので、だんだん時間がなくなってきたんです。そこでアシスタントを雇って、僕は下絵だけを描くという風に分業していきました。そうしているうちにスタッフが増えて、メルファン設立に至りました。メルヘンとファンタジーでメルファンです。

 

驚異的な売り上げを誇ったおまけシール

──「こえだちゃん」の成功でメルファンが誕生したと。

 

桜井 そう。その時は3~4人でタカラのおもちゃのパッケージを作ったりしてました。

ただ、「こえだちゃん」が終わると会社が潰れる寸前までいって……。それで、この頃にタカラ以外とも仕事をするようになって、バンダイの「くるりん村9ばんち」をやったりしてました。所属スタッフの金井由美子がバンダイのパッケージとかキャラクターを担当してて、それがけっこう売れましたね。

「くるりん村9ばんち」(バンダイ)

そんな風にいろいろやってるうちに、雑誌付録の仕事とか「ムーミン」のイラストの仕事とかが入ってくるようになってきました。

この頃、知り合いのデザイナーから「今、『ビックリマン』っていうシールが流行ってるんです。こういうのをやれるイラストレーターがどこかにいないですか?」と大日本印刷から聞かれた、って話をされまして。それで「メルファンにイラストレーターが何人かいるから」と紹介してもらったんです。

 

 

 

──それがメルファンとおまけシールとの出会いですね!

 

桜井 そうです。この頃に、後に「ガムラツイスト」や「ラーメンばあ」のイラストを担当する下條美治と、後にストーリーを担当する安島まゆみがメルファンにやってきます。ちょうどタイミングよくうちに入ってもらって、それから下條にはうちのエースイラストレーターとして活躍してもらっています。

 

「ガムラツイスト」の人気キャラクター「我無羅殿神王(がむらでんしんのう)」

──ちょうどいいタイミングで人材がそろってきたんですね。

 

桜井 そう。漫画は講談社のコミックボンボンでやってたけど、あれは桜多吾作さんがやっていたんだよね。当時、うちの漫画は下條が担当していたんだけど、この連載だけはノータッチでした。

この「ガムラ」「ラーメンばあ」がものすごく当たって、そこからどんどん新しいおまけシールを作りましたね。まさにシールブームで、「タイムスリップバトル」「魔空の迷宮」「対決戦国時代」「ビックリコ」など次々と手がけるようになって、ものすごく忙しかったです。あの頃は毎日シールをデザインしてました。いや、すごかった。

 

女子向け「ビックリマン」と言うべき「ビックリコ」(ロッテ)

「モンスターカード」(明治)

当時のシールの資料。このように台紙に貼って、一覧できるように整理されていた

──やはり売上もすごかったんでしょうか?

 

桜井 シール1枚の単価はそれほどじゃないけど、だいたい1枚あたりデザインが●万くらい。裏台紙のストーリーのテキストが●万円くらいだったかな。それで、1作品あたり1度に30~40枚作るんですよね。それを3~4作品同時にやってたから……。

 

──おまけシールって、だいたい2~3か月サイクルで新弾が出てきたから……。ものすごい金額が動いてたんですね。

 

桜井 あとは商品化する前の企画段階のキャラクターも作ったりもしてましたね。ほとんどポシャるんだけど、それはエースの下條以外のイラストレーターが担当したりしていました。

 

保坂 下條さんはとにかく手が早いので、ボンボン新しいキャラクターを作りだすし、ペン入れもできるんですけど、最後の色付けの部分だけはアシスタントさんが担当していたそうです。

 

食玩やガチャポンで展開した「王金戦士コインダマン」(バンダイ)。実際にお腹に硬貨を収納できた

ポシャった(?)企画の一つ。ガンダムの頭部に乗り込んで遊ぶエレメカだろうか?

──時代的には1988年から1991年くらいですよね。その数年がシールバブルだったと。

 

桜井 まあでも、ブームは去るからね……。当時、うちも売り上げの90%がおまけシールの仕事だったけど、それがなくなったら……。と想像はしていたし、シールの仕事って来るときは来るけど、そうでない時もあったので、そういう時でも並行して雑誌の仕事は受け続けていました。雑誌って毎月必ず出るじゃないですか。金額はそこそこだけど、途切れず仕事が続くので、そちらも決して切らずに続けていこうと決めていました。

それに、「ガムラ」とか「ラーメンばあ」みたいなストーリー仕立てのおまけシールのブームは終わったけど、ふりかけとかお茶漬けに付いてくる「ドラえもん」とかディズニーキャラをからめたシールはずっとなくならなかったので、そういうシールの仕事はその後も続いていきました。

 

「ゴジラ」のトイカード。現在、トイカードは「こども商品券」と名称が変わっている

「魔神英雄伝ワタル」「魔動王グランゾート」のロボットをモチーフにした「パロ伝」


──そのほか、多数の玩具企画参加されています。

 

桜井 当時はトイカードのデザインを多数手がけましたね。バンダイ系だと雑誌「SDクラブ」では、世界中の龍でお話を作ろうってことで「ドラゴンウォーズ」を連載していました。ドラゴンのシールだかカードを集めようって作品でしたね。下條が「忍風DENフーマ」って作品を作ったりもしてました。「ゲゲボ魔獣」という、プラモデルとおまけシールがセットになったものもありました。タカラでは「パロ伝」のキャラクターデザインからグッズのイラストまでやりましたね。そのほか、日の目を見なかった企画も多数ありました。

 

バンダイより出版されていた「SD CLUB」

 


──その後下条さんは特撮作品にも参加されたり。

 

桜井 そうそう。東映の協力会社である企画者104と「激走戦隊カーレンジャー」や「救急戦隊ゴーゴーファイブ」などスーパー戦隊もののキャラクターデザインを請け負ったり、設定を作ったりしてます。

 

美少女ゲームの世界でもヒットメーカーに

──1990年代半ばになると、シール人気もだんだん収束していきました。

 

桜井 それで「困ったな~」と思っていた時に、「ファインドラブ2」というゲームの話が来たんです。これは原作がうちじゃないんですけど、イラストをお願いしたいということで話がきて、我妻康美に担当してもらいました。我妻は、おまけシールの「ビックリコ」も担当していました。

 

関連書籍も多数出版された「ファインドラブ2」

──「ファインドラブ」! かなり際どいお色気カットもある美少女ゲームでしたね。

 

桜井 ちょっとエッチいから恥ずかしいな~、やりづらいな~と思いつつやらせていただきました(笑)。これでまたいろいろと忙しくなってきてね、またイラストレーターを入れたりしました。

 

こちらは「全国制服美少女グランプリ」シリーズで断トツの人気を誇っていた生沢杏子(いくさわきょうこ)

──ファン投票でゲームや小説に登場する女の子を決めるという、かなり時代を先どった「全国征服美少女グランプリ」というコンテンツから生まれたセガサターン用ゲームですよね。

 

桜井 ファン投票、やってたねー。それで、この仕事をしていたら、こういうちょっとエッチなイラストのお仕事が来るようになりました。そのうち、ちょっと言えないような(ハードなゲームの)依頼も来るようになったんだけど、そういうのはうちじゃできないって断ってました。うちでやってたのは、ソフトなやつまででした。

ゲーム関係だとナムコの「子育てクイズ マイエンジェル」のキャラをデザインしたりね。あれもずいぶん続きましたね。1990年代は、ゲームと美少女キャラ中心にやってました。

 

──話をうかがっていると、スタジオメルファンは時代のトレンドにうまいことハマっていきますよね。メルファンスタッフの、基礎的な画力の高さもあるのではないかと思うのですが。

 

桜井 タイミングがいいというか運がいいというか。もちろん画力の高さもあると思います。下條をはじめ、うちのレベルは高かったと思いますから。

 

──2000年代に入ると、状況はどうなったのでしょうか。

 

桜井 この頃はパチンコ、パチスロのアニメーションやキャラクターデザインをやるようになりましたね。「ルパン三世」とかやりましたよ。たいしてうまくはなかったけどアニメーター時代に原画、動画をやっていたから、パチンコ、パチスロくらいの簡単な動きのアニメは作れたんです。氷川きよしや和田アキ子のキャラクターを作ったり「じゃりン子チエ」の絵を描いたりしてました。

あとはLINEの公式キャラクターのアレンジをやったりもしてました。LINEの作家が作ったキャラクターをもとに、作り直すという仕事をしたこともあります。

 傘寿に手が届く今も、バリバリ現役で活躍している桜井社長

時を経て知るおまけシールの魅力

──そして2013年頃に、ワイエスコーポレーションの保坂さんと出会うわけですね。

 

桜井 そう。

 

保坂 2013年6月に電話をしました。シールを作りましょうと。

 

桜井 まーーーー、あんまり金にならないだろうなと思ったんですが(笑)、「いやいや、『こえだちゃん』も最初はそんなに期待してなかったけど、化けたじゃないか。これも化けるんじゃないか」って思って始めてみたんですよね。そしたら、見事に化けてくれましたね。

 

ワイエスコーポレーションとタッグを組んでスタートした「真おくのほそ道」シール

──おまけシールでメルファンが盛り上がっていた時期というと、長い社史の中でもほんの数年じゃないですか。おそらく会社的には、もう終わってしまった過去の仕事のひとつだったんじゃないかと思うのですが。

 

桜井 メルファンは今年で創業44年なんだけど、その中で忙しくシールを作っていたのはほんの5年くらいですね。

 

──それをまたやろうと言われた時はどう思われましたか?

 

桜井 僕がそんなにインターネットに通じてなくて、シールの価値もよくわかっていなかったんです。それで田舎の図書館にストックしていたシールをわたして、自由に持っていってもらったりもしてたくらいで。だから、あの時市場価値を知っていたら……と思いましたね(笑)。

 

ワイエスコーポレーションの保坂朋章社長

──ワイエスコーポレーションとの出会いをきっかっけに、スタジオメルファンは「真おくのほそ道シール」で、またおまけシールをやる、というニュースを発表した時の反響はいかがでしたか?

 

保坂 非常に大きかったですね。自分の中では「天山えびす」のホログラムシールを作ったのが大きかったと思います。久々にホログラムのおまけシールを世に送り出したことが、お客さんにとっても大きなインパクトになったと思います。

その後も2014年、2015年とシールファンの皆さんと交流会の場を設けたりして、話を聞いていくうちに「ファンの人たちはこういうシールが欲しいんだ」とか「こういうキャラが欲しいんだ」ということを初めて知っていきました。

 

桜井 保坂さんはうまいことファンの意見を取り込んでシールを作ってるよね。

 

松尾芭蕉の名著「おくのほそ道」をモチーフにしたおまけシール「真おくのほそ道」

──久々におまけシールの世界に帰ってきて、桜井さんはどう思われましたか?

 

桜井 描き手である僕としては、シールをきちんと整理したことがありませんでした。それで最近改めて整理してみることで、コレクターの心理がようやくわかってきた気がします。前はそんなにマニアの気持ちがわからなかったんだけど、保坂さんにならってファイルにシールを整理するようになると、1枚でも欠けるとなんか気持ち悪く思うようになってきました。

それに1枚1枚見ると、ストーリーに沿って絵が描いてあったりして中身が濃いから、これはいくつになってもファンが感動するだろうなってわかってきました。

保坂さんとつきあうようになってから、ようやくシールの面白さがわかるようになってきました。

 

──自分の作った作品をまじまじと見返すことは今までありましたか?

 

桜井 おまけシールをやっていた当時は、描いたものをあんまり見たくなかったんだよね。こんな絵を描いていたのかって思ってしまう。本当はとことんまで作りこみたいんだけど、締め切りがあるから途中で切り上げることが多かったんです。

でも、こうして時間が経って改めて振り返ると、楽しかったなって思います。それに最近は、僕は実質営業みたいなもので、作画は下條らデザイナーが、ストーリーは安島たちがやっているから客観的に見えているのかもしれないです。

 

──桜井さんが実際に手を動かして作品に参加していたのは、どの辺りまでなんでしょうか。

 

桜井 「対決戦国時代」あたりだと思います。ただ、今も新しく立ち上げる時の最初のレイアウトやデザインだけはかかわりたいという気持ちはあります。「シンオク」の漫画をやった時も、絵は下條担当なんですが、レイアウトは僕がやっています。

 

「真おくのほそ道」公式サイトで公開されたコミック

──今回「ガム女学園」という新シリーズがスタートしました。こちらは「ガムラツイスト」の続編的なものになるのでしょうか。

 

保坂 続編ではないけど、ユーザーさんからすると続編のようにも思っていただけるのかなという商品になりますね。通常設定と裏設定シールの2パターンがあって、裏設定シールの台紙には「ガムラ」に出ていたキャラを連想させるような「祖キャラ」という設定画が載せてあります。これを見れば、続編ではないけど、昔集めていた方は「このキャラは、あのキャラの子供なんだな」みたいな裏設定がわかると思います。

「ガム女学園」パッケージ

それを2019年に思いついたんですが、最初はそのまま眠らせていました。そうこうしているうちに、去年新型コロナウイルスで自粛ムードになり仕事も忙しくなくなってきたので、改めて「ガムラ」「ラーメンばあ」のシールを観直しているうちに、下條さんと企画を詰め始めたんです。

今回、キャラクターは下條さんに自由にデザインしてもらうところからスタートしました。

 

桜井 キャラクターデザインがのびのびしてるね。

 

保坂 その自由に描いてもらったキャラクターをもとに、裏台紙の設定を作っていきました。そのストーリーの根幹は、安島さんにもチェックしていただいています。

 

「ガム女学園」シール

──かつて日本中を席巻したおまけシールが、今また盛り上がっている状況をどのように思いますか?

 

桜井 もちろん嬉しいんですが、やっぱり描き手の下條が嬉しいんじゃないかな。今まで彼も苦労してきたのですが、今は楽しく仕事ができているようなので、それが一番嬉しいです。

 

──そういう仕事をやりつつ、現在も雑誌仕事を継続されている。

 

桜井 そうですね。そんなこんなで今年でメルファンも44年を迎えています。

 

今も日本中の子供たちに親しまれているメルファンの仕事の数々

──今も変わらず仕事自体は楽しいですか?

 

桜井 仕事はやっぱり楽しいですね。ただ、僕もゆくゆくは退職したいからね(笑)。若い時は自分で動き回って仕事していたけど、今はメルファンにクオリティの高い描き手はいるし、財産は何もないけど「ガムラ」をはじめキャラクターだけはたくさんいるから、それを保坂さんに引き継いでもらえたら……という話はしています。だから僕もメルファンも、もうひと踏ん張りしたいですね。

 

保坂 引き継ぐなんて……、そんな恐縮です。楽しく仕事をして、しっかりと商売になれるようお手伝いできれば、と思っています。自分は今、スタジオメルファンとしても営業をしています。地域振興活性化のため、おまけシールを通して盛り上げる動きができれば、と。いよいよ2021年夏ごろに形になるものがあるかもしれません。ぜひその時は、メルファンを応援していただけますと幸いです。

そして描き手の皆さんに、今後も仕事を続けていただける環境を作れたらと思っています。シールに限らず、メルファンに絵の仕事をお願いしたい方はどんどんご連絡ください!