2021年1発目となるライターcrepuscularの連載第46回は、株式会社インフィニット代表取締役で、プロデューサーの永谷敬之さん。彼の特徴は何と言っても、オリジナルアニメづくりである。「SHIROBAKO」は言うに及ばず、そのほかにも「花咲くいろは」、「TARI TARI」、「凪のあすから」、「天体のメソッド」、「クロムクロ」、「フリップフラッパーズ」、「色づく世界の明日から」、「グランベルム」、「BLACKFOX」といった、数々の名作を世に送り出してきた。製作本数の急増とヒットの小ぶり化でますます厳しくなる現代のビジネス環境においても、オリジナル作品にこだわる永谷さん。独立系プロデューサーだからこそできることをやろう、という気概に満ちている。そんな永谷さんのプロデュース論とは一体どういうものなのか。作品を嗅ぎ分ける鋭い嗅覚、卓越したコミュニケーション能力とビジネススキル、ユニークなコンテンツ育成能力は、どのような経験を経て培われたのか。インフィニットが「ひぐらしのなく頃に 業」をプロデュースしたのはなぜなのか。コロナ禍の中、劇場版「SHIROBAKO」のDVD・ブルーレイを発売することになった苦しい胸の内も明かしていただいた。他のメディアでは決して得られない、ファンが本当にほしい情報がここにある! ぜひ最後までお読みいただきたい。
プロデューサーは「クリエイティブの潤滑油」
─大変お忙しい中、取材に応じてくださり、本当にありがとうございます。早速ですが、永谷さんにとって、「アニメプロデューサー」とはどういう存在でしょうか?
永谷敬之(以下、永谷) 僕はスターチャイルドという、キングレコードの中でなくなってしまったレーベルからキャリアをスタートしたのですけど、そこで「作品が成功したら現場の手柄、失敗したらプロデューサーの責任」と教わりました。僕は画が描けるわけでもシナリオが書けるわけでもないので、「現場がクリエイティブな仕事を円滑にできるように、いかに潤滑油になれるか」というのを、プロデューサー論の中軸に据えています。クリエイターたちのマッチングが足し算になるのか、引き算になるのか、掛け算になるのか、割り算になるのかというのは、組んだ瞬間にある程度決まっていると思うので、「この人たちにお願いしよう」と決めた後で介入しても、僕がクリエイティブに与えられる影響は大きくないと思っています。なので、いかにクリエイティブに制約をかけず、楽しくやってもらい、広げていけるか、というのを大前提としています。
─永谷さんは「プロデューサー」とは別の、「プロデュース」というクレジット表記を使っています。これはなぜですか?
永谷 僕の会社「インフィニット」を立ち上げた当初は、「うちは製作委員会のメンバーではありません」、「出資していない会社です」という意味で使っていました。だけどその後、僕がちゃんと責任を取るためには名前を知ってもらわないとダメだと思うようになって、「これはインフィニットが、永谷がやっている企画ですよ」とわかってもらえるように、独立表記をしてもらっています。
─エモーション時代の「ティアーズ・トゥ・ティアラ」(2009)や「CANAAN」(2009)でも、「プロデュース」表記が見られます。
永谷 これは僕が決めたんじゃないんです、WHITE FOXさんもP.A.WORKSさんも僕がブッキングをしたので、多分、スタジオのコーディネーター的な意味でこうなったんだと思います。エモーションは出資もしていましたし。なので、現在僕が使っている「プロデュース」とは、また違った意味合いです。
─「TARI TARI」(2012)や「フリップフラッパーズ」(2016)では、「宣伝協力」としてインフィニットがクレジットされています。
永谷 インフィニットは、僕を入れて今、4人しかいない小さな会社なんですけど、宣伝だったり、うちでやれるものに関しては極力うちでやるようにしています。雑誌やネット関係の記事とか、ロフトでのトークショーとか、そうしたこともスタッフと一緒にやっています。その際にも、うちの子たちの名前はエンディングに出すようにしておいて、オープニングには責任の所在をはっきりさせるため、僕の名前のみを載せるようにしていました。今は、成長したスタッフと併記をするようにしています。
─やりがいを感じるのは、どういう時ですか?
永谷 うちは原作ものを除くと、アニメマーケットの主流ではないモノでも作りたいと思うスタッフがいればそれを何とかしたい!と思っていて、生きがいを感じているというか、「うちじゃなきゃ、できそうにないものだな」という作品が巡ってきた時に、「どうにかしてあげなきゃな!」という気持ちになりますね。うちじゃなきゃ生まれそうにない子だったら、その子に対する愛着も強くなるじゃないですか。
ただ、スタートラインはそうだとしても、うち的には「この作品を何年運用できるか」というのも大切になってきます。たとえば1クールのアニメだと、3か月間の放送ために2年かけて作るわけですが、1話の評判だけで忘れ去られてしまう作品も残念ながらあるわけですよ。今は年間250本近く新作が作られているんですけど、うちは1年に2~3本、極力同クールに受けないようにするなどして、悔いの残らない作り方を心がけています。
ロボットものは「アニメが得意とするジャンルと信じたい」
─お得意な企画やお好きなジャンルはありますか?
永谷 個人的に好きなのは、「ロボットもの」です。うちの会社はまだ10年しかやっていないんですけど、「クロムクロ」(2016)、「レガリア The Three Sacred Stars」(2016)、「グランベルム」(2019)と、ロボットものを3本もやっているという(笑)。「ガンダム」、「マクロス」、「コードギアス」といった名作が生まれるいっぽうで、年間でも作品数が増えないジャンル、ロボットものが売れにくい時代に、です。
これは、僕がアニメ業界に入る前に夢中で観ていたアニメがそうだった、というのが大きいです。「魔神英雄伝ワタル」(1988~89)、「新世紀エヴァンゲリオン」(1995~96)、「天空のエスカフローネ」(1996)、「機動戦艦ナデシコ」(1996~97)とかですね。僕は「アニメでしかできないジャンル」のひとつにロボットものがあると思っていて、同時に、「絶滅していくジャンル」なのかもと思っています。だから、僕が生きている間に少しでもロボットものを残したい、というのが心のどこかにあるんだと思います。
いっぽう、会社としては「日常もの」のご相談をいただくことが多いです。ただ日常ものをやろうとすると、「アニメでやる理由は何ですか」とよく聞かれます。たとえば、1作目に「花咲くいろは」(2011)をやった時、営業先からは「朝の連ドラでやればいいんじゃないですか?」とかも言われました。
今は「異世界もの」が流行っている感じがしますが、流行りのジャンルは当社ではあまり取り扱うチャンスがありません。そんな中で「はたらく魔王さま!」(2013)はやらせてもらいましたが、この作品は「ぜひウチで!」と思い、さらに巡り合わせがよかった企画です。
─「はたらく魔王さま!」は、和ヶ原聡司さんのライトノベルが原作です。割合的にはオリジナルが多いようですが、原作ものも、積極的に企画されるのでしょうか?
永谷 うちは基本的にオリジナルをやりたい会社です。ですが原作ものも、オリジナルと同様に愛しています。いろんなご縁があって、どの作品も「うちでやりたいです!」と手をあげて作らせてもらいました。ただ、うちは小さな会社なので……多くの作品には携われない。だったら、企画段階でも現場から上がってきた、ひょっとしたら皆さんがあまり話を聞いてくれないような、まだ実績も何もないものの話を聞いてあげるほうがうちの役割なんじゃないかなと思っていて、バランスをとりながら取り組んでいます。
「ひぐらしのなく頃に 業」はいかにして生まれたのか
─「ひぐらしのなく頃に 業」(2020~)は、竜騎士07さんと07th Expansionが原作者ですが、過去作とは違った内容になっていますね。
永谷 僕が最初に竜騎士07さんにお話しさせていただいたのは、「リメイクやめましょう」、「うちがやるんだったら新作をやらせていただきたい」でした。これまで「ひぐらし」15年の歴史を作ってきた人たちが作ってきたものを、令和のアニメの技術でリメイクする、というのは僕がやる必要ないと思いました。だから、「15年やってきたことを参考にさせてもらって、次のステップとして新作を作るというのであれば、一緒にやらせてほしい」と考えたんです。竜騎士07さんにはご快諾いただけて、打ち合わせをした1か月後には、すぐプロットを上げていただきました。ほかの会社さんだと「どのシリーズをやりましょうか」となったかもしれないのを、僕が図々しくも「新作やりましょう」と言ってしまったがために「業」が生まれたんだったら、存在価値はあったのかなと思いますね。
永谷流! オリジナルアニメの作り方
─オリジナル作品のアイデアは、どこから生まれてくるのですか?
永谷 うちの場合、きっかけは何でもいいんです。「これは今、ジャンル的に人気ないからやらない」と言うのは簡単なんですけど、うちはあんまりしたくない。そうじゃなくて「どうすれば実現できるのか」、「こういう形だったら実現できるんじゃないか」という、逆算のやり方をうちは採用しています。なので、この記事を読んだクリエイターさんには、どんどん企画を持ってきてほしいですね(笑)。
─クリエイター主導の企画例を、教えていただけますか?
永谷 「フリップフラッパーズ」は現場主導の企画でした。玄人向きと言われるんですけど、監督の押山清高さんとキャラクターデザインの小島崇史さんたちが、「アニメーションって、こういうのが楽しいよね」と思えるようなものをやろうとして始めた企画です。うちが「こういうのをやりましょう」と言った訳ではなくて、「このクリエイターたちで何かやりませんか」というようなアプローチをして、出てきたのが「フリップフラッパーズ」です。
─振り返ってみていかがですか?
永谷 ワクワクする感じでやらせてもらった、それに尽きますね。押山さんと小島さんは上昇志向の強い方ですし、これからどんどん伸びて、今後アニメ業界を支えていく2人になると思います。Studio 3Hz(スタジオサンヘルツ)代表の松家雄一郎さんも、Production I.G出身でクリエイターライクな方なので、うまくマッチングした企画だったと思います。
─過去のインタビューによれば、P.A.WORKSの場合は、代表取締役の堀川憲司さんからの発案が多いとか。
永谷 P.A.さんの場合は、堀川さんと雑談をしている中でいろいろ出てくることが多いです。それ以外はケースバイケースですね。僕から根幹の部分だけ「こういう形でどうですか」とか提案することもあれば、スタジオ側から「こういうのどうですか」と言われることもあります。
─企画書にはどのようなことを書いているのですか?
永谷 僕はロジックよりフィーリングを重視するタイプなので、企画書はあまり書き込みません。「SHIROBAKO」(2014)の企画書は、「アニメ業界もの」と「監督は水島努」とだけ書かれていて、ほとんど白紙の状態だったんですよ。
─製作委員会の組成も、ご自身でするそうですね。
永谷 ほかの人たちは、作りながらお金集めをやっていると思うんですよ。でも、うちはまずパートナーを見つけて、そこから二人三脚で一緒に作っていくんです。ただし、作品のテーマは譲れない根底の部分なので、そこは監督や現場とよく話をしたうえで、誤解がないようにしています。