片渕須直監督の最新作「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」の公開が、2019年12月20日に迫った。2016年に公開されて話題をさらった「この世界の片隅に」の長尺版なので、各方面から期待が集まっている。
そのいっぽうで、片渕監督の前作「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年公開)が11月21日で公開10周年を迎える。山口県・防府市を舞台に、空想好きの新子と転校生の貴伊子の友情、そして千年前のエピソードがからむ壮大な作品なのだが、公開当時は興行的に大苦戦を強いられた。あれから10年、エイベックス・ピクチャーズのプロデューサーとして作品に深く関わった岩瀬智彦さんに、現在の心境をうかがった。
子ども向けとして始めたけれど、大人にもしっかり見てもらえる
── 岩瀬さんが「マイマイ新子と千年の魔法」に関わったとき、作品はどの段階だったのでしょうか?
岩瀬 僕は2007年にエイベックス・ピクチャーズに入社したのですが、そのときに「マイマイ新子~」はプリプロダクションに入っていて、絵コンテもある程度、でき上がっていたと思います。製作委員会もエイベックス、マッドハウス、松竹の基本の座組は組まれていて、エイベックスは幹事社として委員会の運営を始めようとしていました。
── 企画を聞いたときの第一印象は?
岩瀬 僕にとって、「マイマイ新子~」の前に関わった初めてのアニメ作品が「電脳コイル」(2007年)でした。「電脳コイル」も女の子が転校してきて女の子と出会う物語でしたし、男か女かは関係なく、子どもが主役のアニメは好きなんです。また、深夜アニメではなく広く一般に見ていただけるアニメ作品も、自分にとって大きなテーマです。ですから、自分の志向とぴったりの企画とめぐり合えた……という気持ちが、第一印象です。片渕須直監督は「BLACK LAGOON」(2006年)の監督として存じてはいたのですが、経歴を調べてみるとスタジオジブリとの関わりも深くて、なるほどと思いました。高樹のぶ子さんの原作小説とシナリオを読み比べてみると、「あの原作から、こんなアニメが生まれるのか」という、新鮮な驚きがありました。幼いころの清少納言(諾子)は、監督が舞台である防府市にフィールドワークした結果、生まれたキャラクターです。千年の歴史がある町を歩いて新しいキャラクターを見つけてくるなんて、片渕監督ならではと感心しましたね。
── その頃、キャラクターデザインはできていたのですか?
岩瀬 はい、キャラ表もできはじめていました。ですから、作品のルックがどういうものになるのかわかってきて、周囲からは「ジブリっぽい」と言われていました。2007年ごろは細田守監督の「時をかける少女」のヒットが記憶に新しく、原恵一監督の「河童のクゥと夏休み」も公開され、ネクストジブリというか、IP物ではない一般向けのアニメ映画が世の中に認められつつある時期でした。その旗振り役が、まさにマッドハウスさんだったわけです。
── マッドハウス側のプロデューサーは丸山正雄さん、松尾亮一郎さんですね。
岩瀬 丸山さんはキービジュアルをどうするか、キャッチコピーをどうするか、という話し合いのとき、強力なリーダーシップをとっていらしたのが印象的でした。僕がよく話していたのは、現場プロデューサーの松尾さんです。ラッシュが上がるたびに、松尾さんと一緒に見て、説明を受けていました。
── 制作が進む途中、不安はありませんでしたか?
岩瀬 当初は「子ども向けにつくろう」という意識が強く、キャラクターの絵柄も一般受けしそうだという手ごたえは感じていました。ただ、正直に言うと、シナリオを読んだ印象は少し難しいというか、この映画を見た後に、お客さんがどういう気持ちになるのかをつかめませんでした。「映像がすべてできてみないと、ちょっとわからないな」とは思っていました。
── 完成したフィルムを見て、どう思いましたか?
岩瀬 初見では自分の経験も浅く「いい作品ができたな」ぐらいの感想でした。「これは傑作だ、必ずヒットする」と確信したわけではありません。だけど、何度も何度も繰り返し見ていくと新たな発見があり、「……もしかすると、とんでもなくすごい作品なのではないか?」と実感するようになりました。後から、じわじわとよさがわかってくるんです。だけど、その感覚を「お客さんにどう伝えるか」という部分で悩みました。弊社の宣伝チーム、松竹さん、宣伝プロデューサーの山本和宏さんとで額をつき合わせて、宣伝をどうするかオフィスやファミレスで何度も話しました。いざ公開してみると、どんどん上映回数を減らされて朝1回か2回の上映になり……。「子どもに見てほしい」という思いで始めた作品ですが、でき上がったフィルムは完成度が高く、大人にもしっかり見てもらえる。だけど、平日の朝1回では見てもらえない……。当時流行りはじめたSNSで「見たいけど見られない」という声を見るたび、くやしい思いをしました。