少年と年上のお姉さんの甘酸っぱい別れを描いた「ペンギン・ハイウェイ」(2018年)で、アニメファンの心をつかんだ石田祐康監督の最新作が完成した。タイトルは、「雨を告げる漂流団地」(9月16日(金)Netflixにて全世界独占配信&日本全国ロードショー)。取り壊し寸前の古い団地に忍び込んだ子どもたちが、なぜか団地ごと、海の上に放り出されてしまう。あてもなく洋上を漂流する団地で、子どもたちは生きのびるために知恵をしぼり、自分たちの街へ帰ろうと力を合わせる……。米映画「グーニーズ」、日本映画「ぼくらの七日間戦争」にも通じるジュブナイルな味わいの冒険アニメで、廃墟や無人島に憧れる気持ちに強く訴えてくる夏休み映画だ。
その発想のルーツには、石田監督が少年時代に過ごした町のイメージが強烈に焼き付いているようだ。制作会社のスタジオコロリドでお話をうかがった。
海と海にはさまれた山のふもと、築80~90年の古い民家に育った
── 先月の当コーナーでは、富野由悠季さんにインタビューしました。
石田 そうなんですか!? ……僕は、富野監督の「機動戦士ガンダム 逆襲のシャア」が、特別に好きなんです。映画の公開された1988年の生まれだからなのかもしれませんが……。
── 「逆襲のシャア」のどこが好きですか?
石田 最初はシャアの真紅の機体とアムロの真っ白な機体がぶつかり合う、その構図に純粋に惹かれていました。だけど、見れば見るほど極端に異なる2人の登場人物に、なんだか人間の業のようなものを感じるようになりました。シャアは地球に隕石を落として、人間が住めなくしてやろうとまで考えているわけですよね。例えば映画をつくっていてやり切れない思いになったとき、シャアがそこまで考えるにいたった激情が、自分も若造なりにわかる気がするんです。僕は地球をつぶそうとまでは思いませんけど(笑)、シャアという人物を通して描こうとした富野監督の情念は、ちょっと琴線に触れてしまうみたいです。そして、映画の作り手としてのギリギリの良心、善意としてアムロが位置している。その正反対の2人がぶつかる状況に、いろんなデザインがヒロイックにバチッと決まっているんです。そういう作品をつくった富野監督は、尊敬せざるを得ません。今も、僕の仕事机の横はνガンダムのフィギュアだらけですよ。もちろん、サザビーも(笑)。
── 巨大構造物が広大な空間を移動するという意味では、「雨を告げる漂流団地」にも通じるものがありますね。しかし、ネットで話題になった短編「フミコの告白」(2009年)には昭和のようなレトロな町並みが描かれていました。
石田 1988年生まれですから昭和63年、ぎりぎり昭和生まれなんです。もちろん平成時代のほうに長く親しんできたわけですが、昭和の文化や作品にも影響は受けています。それとは別に、現実に過ごした原風景はちゃんとあります。海沿いの宿場町で漁師たちを泊めるための家を、少し町に近い場所へ移築した平屋が、僕の実家だったんです。築80~90年ぐらいの古い家で、昭和の雰囲気が濃く残っていました。
── すると、海には親しんで育ったのですか?
石田 家から200メートルぐらい歩くと、すぐ海でした。何キロも浜辺が続いていて、海水浴客が遊びに来るような観光業も営んでいる町でした。僕も夏には浜辺で花火をしたり、潮干狩りにも行きましたが、泳げなかったせいもあり、どちらかというと海には怖いイメージがあります。今回の「雨を告げる漂流団地」でも、海の描写には親しみよりは「怖い」という感覚が、無意識のうちに出ているかもしれません。
── 海にのみこまれそうになる、ハラハラドキドキの描写もいっぱい出てきますからね。
石田 ええ、特に夜の海って怖いんです。愛知県の知多半島ですから、反対側は三重県。夜になると、対岸の工業地帯の明かりが見えるんです。いっぽう、実家の反対側は山になっていてミカン畑があり、実家がミカン農家だったので山へもよく遊びに行きました。山を越えると、また海があります。ですから、海と海に挟まれた小さな山のふもとに暮らしていたんです。
── そうした故郷の記憶が「フミコの告白」の階段や、「ペンギン・ハイウェイ」に出てきた新興住宅地のような不思議な空間を生み出しているのでしょうか?
石田 「ペンギン~」の原作を書かれた森見登美彦さんの育った環境(奈良県生駒市)が、まさしくああした山間のベッドタウンだったそうです。昭和の時代に開発された、新興の学究都市だったんですね。山を切り崩して、同じような形の家が並んでいるエリアは、実は僕の実家の近くにもありました。ですから、「ペンギン~」の原作小説を読んだとき、「ああ、こういう場所ってあるよね」と、すぐにイメージが喚起されました。