富野由悠季監督がテレビシリーズを劇場映画全5部作に再構成した劇場版『Gのレコンギスタ』(通称『G-レコ』)、いよいよ完結へ向けて『IV』「激闘に叫ぶ愛」、『Ⅴ』「死線を越えて」が2022年7月~8月に連続公開される。『IV』「激闘に叫ぶ愛」はクライマックスの戦闘シーンが新たに描き起こされており、かつてのどの作品でも見たことのない気迫に満ちたモビルスーツ戦に、度肝を抜かれること請け合いだ。
富野監督によると、その大迫力のバトルシーンはアニメーターの主体的な作画力によるものだという――。エンタメについて、アニメ業界について、そして最後にはとんでもない提案が監督の口から飛び出した! 怒涛の必読インタビューをお届けする。
今は、人類に絶望するしかない……だからこそ、孫の世代に残せる作品にしたかった
── 昨夜、ひさびさに『OVERMAN キングゲイナー』(2002年)を見たのですが……。
富野 なんで、今ごろそんなの見るの!?
── たまたま、コラムを書くことになったからです。『キングゲイナー』は環境問題や文明論がバックボーンにありますよね。富野監督はずっとひとつの文明論を模索してきて、その最新形が『G-レコ』なのではないでしょうか?
富野 はい、戯作者としての才能が決定的に欠けていることが『∀ガンダム』(1999年)の頃から、僕にはハッキリとわかってきました。ですから、そうしたもの(地球環境や文明のあり方)をテーマにしないと作品をつくれない僕の頭の構造、そして感覚の問題として三谷幸喜さんのようなすぐれた劇は書けないのだから、と覚悟を決めたんです。(文明論をテーマにしたことで)僕の作品が一本調子になっていることも、事実かもしれません。しかし、現在起こっている戦争にいたるまでの事態を見ていても、人類に絶望するしかなくなってきます。『機動戦士ガンダム』(1979年)以来、ずっと憂慮していたことが顕著になっていくだけなんです。僕はあと10年もせず死んでいけるけど、今後50~60年生きていかねばならない人たちは、ひどい思いをすると思う。僕には孫が3人いて、彼らがどれほどひどい目に合うんだろうか……という切迫感がすごいわけです。
『G-レコ』を考えはじめた10年前は、ちょうど孫ができはじめた頃だったので、彼らが大きくなる過程で知っておいたほうがいいことを、キチンと作品に入れておきたかったんです。それから、現実世界がこれだけ過酷なのだから、気の滅入るような作品にはしたくありませんでした。
『ガンダム』の延長線上だと隠滅な作品になってしまうので、3千年ほど時間を飛ばせば、人々は変われるかもしれないと気がついたんです。そこから新しく世界をつくりなおす話なら、若い子たちががんばれる作品をつくれるかもしれない……。でも本音を言うと、そういうテーマ性なんかなしに、シンプルな王子様と王女様の物語にしたいんです。だって本来、芸能って難しいこと考えずに楽しけりゃいいやって、ものでしょう?
── 『G-レコ』に出てくるキャラクターは、みんな楽観的で前向きですよね。
富野 そういう明るいキャラクターたちにしないと、深刻になるだけだからです。ちょっとドタバタしすぎているんだけど、それを逆手にとっているつもりもあります。
── 今回の『IV』「激闘に叫ぶ愛」は、とにかくテンポがいいので、セリフの内容に気をとられることなく最後までスッキリ見られました。
富野 僕自身、あまりセリフを気にせず映画を見る人間です。セリフを聞きとれない外国映画でも、いい映画と悪い映画の識別はちゃんとつくものですよね。つまり、映画でいちばん重要なのは、リズム感なんです。僕は劇のセリフがつくれないから、なおのこと、リズム感を大事にしました。
── ちょっと外国映画を見ているような雰囲気がありました。
富野 うーん、それはどうかな? そこまで計算できるほど、こっちは頭がよくありません。それに今のスタッフたちは『G-レコ』に5本つづけて参加してくれているので、手癖でやっている部分もある。だけど、それは僕のやりそびれたことを、スタッフがわかってくれているということでもあるんです。だから、「手癖で何が悪い?」と開き直っています。アマチュアではない、ベテランぞろいのスタッフでつくっていますから。