プロデューサー・諏訪道彦 ロングインタビュー!(アニメ・ゲームの“中の人” 第43回)

連載第43回は、株式会社ytv Nextry(ネクストライ)専務取締役で、昭和・平成・令和と3時代に渡り、読売テレビ系アニメを製作し続けてきたレジェンド・プロデューサー、“スワッチ”こと諏訪道彦さん。諏訪プロデュース作品でまず思い浮かぶのはやはり、1996年以降テレビシリーズが放送され、ほぼ毎年劇場版も公開されている「名探偵コナン」であろう。今や「コナン」は国民的アニメであり、海外からもジャパニメーションの代表格とされている。そのほかにも「シティーハンター」、「YAWARA!」、「魔法騎士レイアース」、「金田一少年の事件簿」、「犬夜叉」、「ブラック・ジャック」、「ヤッターマン」、「輪廻のラグランジェ」、「まじっく快斗1412」など、アニメファンならば知らぬものはいない名作を世に送り出してきた。短命な作品が多数を占める現在のアニメ業界において、これらの作品群から学ぶことは実に多い。テレビ、ラジオ、書籍、インターネットなどでみずからも積極的に発信している諏訪さんであるが、当記事ではライターcrepuscularが独自の視点から質問を投げかけ、諏訪さんのプロデュースの特徴や人物像を浮かび上がらせていく。新作となるテレビシリーズ「半妖の夜叉姫」や劇場アニメ「神在月のこども」のメッセージも預かっているので、ファンの方は見逃さずにチェックしていただきたい。

 

「マンガとアニメの間をつなげる」プロデューサー

─アニメ界のレジェンドにお会いできて大変光栄です。連載初のテレビ局プロデューサーへのインタビューとなりますが、諏訪さんは「プロデューサー」という存在をどう捉えておられますか? 

諏訪道彦(以下、諏訪) ボクは今61歳で、創生期のちょっと後から日本のアニメに関わってきたのですが、ボクとしては原作ありきの作品として「マンガとアニメの間をつなげる」のが、アニメプロデューサーだと思っています。そして、「マンガのコマとコマの間を埋めるのがアニメーション」です。そのためにはいろんなノウハウがあって、お金も手間もかかるし、ひとりでできるわけでもありません。テレビの場合は、企画を出して、放送のための枠も取らないといけません。

─インディペンデント系のプロデューサーからは、「企画、資金の調達・回収、現場管理、これら全てを行うのがプロデューサー」という意見もあり、テレビ局プロデューサーは厳しい目で見られることもあるかと思います。

諏訪 そういった意見も否定はしません。インディペンデントでやられている方は本当にすごいと思います。ただ、「自分でお金を集めたから、アニメを作れる」ということは決してないですし、プロデューサーによって誕生するアニメが違ってくるのも事実なんですよね。クリエイターと言ったらおこがましいかもしれませんけども、ボクはテレビアニメの「フォーマット」というのをすごく考えています。たとえば、「シティーハンター」(1987~88)のエンディングテーマ「Get Wild」は、ボクが後半ロールとエンディングを直結した「フォーマット」を考えたうえでのヒットだと思っています。そのようにアニメを視聴者にお届けする形にして送り届けるのも、プロデューサーの重要な仕事だと思うんです。

あとテレビアニメのプロデュースは、テレビ局のプロデューサーと制作会社のプロデューサーの「チームワーク」だと思うんですよね。「シティーハンター」はボクと植田益朗さん、「名探偵コナン」(1996~)はボクと吉岡昌仁さんのコンビがあってこそ、誕生したアニメだと思っています。ですから、お金を集めることはもちろん大切ですが、最終的に送り手として、きちっと作品をまとめられることのほうが大命題だと、ボクは思います。

─プロデューサー職は激務とうかがっていますが、どのような時にお仕事のやりがいを感じますか? 

諏訪 やっぱり視聴者の方から「おもしろかった!」とか、「ずっと観てますよ!」とか、ポジティブなリアクションをいただける時ですね。ボクらが送り届けたアニメで少しでもポジティブなものを感じてもらえた時には、本当にがんばってよかったと思います。「ウケを狙う」というのに近いですかね。だから、やる時にはいつも「これでどうだ!」、「120%のエネルギーを込めてやるぞ!」という感じでやっています。逆に言えば、そうじゃないものを送ってはいけないと思います。ボクが「企画」でクレジットされる時は、「アニメ化する作品を選び、相手方と交渉して、作品をお送りする」ところまでいけたということですから、作品の基礎固めを行うことができた達成感もありますね。

─「作品が成功すれば監督の功績、失敗すればプロデューサーの責任」というストイックな方もおられますね。

諏訪 監督は決して他人じゃなく、「ファミリー」だと思っているので、監督が褒められれば、ボクもうれしいですよ。「シティーハンター」からご一緒しているこだま兼嗣さんなんかは、10年後に「名探偵コナン」(1996~2002)をやって、10年後に「結界師」(2006~08)をやって、また10年後に「シティーハンター」の映画「<新宿プライベート・アイズ>」(2019)をやっているわけですから、ボクにとっては「よきおじさん」、決して他人じゃないんです。何かあれば、すぐに電話をしちゃう間柄なんです。作品を一緒に作っているのは、皆ファミリーですね。

13年かけて実現した、「ブラック・ジャック」アニメ化

─影響を受けた作品は? 

諏訪 ボクは今ここにいる理由としていつも、「手塚治虫」、「俺たちの旅」、「刑事コロンボ」の3つをあげています。「俺たちの旅」は高校生の時に観ていた中村雅俊さん主演のテレビドラマで、友情やチームワークの大切さを教えてもらった作品なんです。

─手塚治虫作品と言えば、諏訪さんは「ブラック・ジャック」(2003~06)を企画・プロデュースされていますね。

諏訪 これは13年かかりましたね。ボクは1983年に読売テレビに入社して、1985年3月に日本テレビ系列で放送していた「11PM(イレブン・ピーエム)」という深夜バラエティのディレクターになったんですけど、読売テレビは火曜と木曜の制作を担当していて、木曜の番組にボクの同期ディレクターである今村紀彦さんが手塚治虫さんをゲストで呼んだんですよ。その後、1985年に東京支社編成部に異動になって、「ロボタン」(1986)というアニメを初めてプロデュースすることになります。ただ、誰も知らない東京で、その時に唯一のよりどころになったのが、「11PM」の時に手塚さんのマネージャーとしていらしていた、手塚プロダクションの古徳稔さんの名刺だったんですよ。東京に異動後すぐに古徳さんに電話をして、夢にまで見た手塚プロにご挨拶に行って、「アニメを担当することになったので、いつか一緒にやれたらいいですね」と、まさに夢物語みたいなことを話していたんですが、その時に社長である松谷孝征さんや局長の清水義裕さんを紹介していただきました。

「ブラック・ジャック」はテレビアニメにはならずに、出崎統監督のOVA(1993~2000)が制作されています。手塚作品で有名なものはいっぱいあるんですけど、長編で、テレビアニメになっていないものは、「ブラック・ジャック」だけだったんです。そこで、最初は1990年の広島国際アニメーションフェスティバルの後で松谷さんと飲ませていただいた時に、「ボクにやらせてください!」と言ってみたんですが、その時は、「やるんだったら、手塚さんの『ブラック・ジャック』をこういうふうにやるんだと具体的にわかる形で、ちゃんと準備してから言いなさい」と、当然なって……。それから必死に準備して、松谷さんを説得して、実を結んだのが2003年の「ブラック・ジャック2時間スペシャル ~命をめぐる4つの奇跡~」です。2004年からは2年間、テレビシリーズもやらせていただけることになりました。

─「ブラック・ジャック」のオープニングテーマはどれも印象的で、なかでも「月光花」は、ファンから根強い人気があります。

諏訪 Janne Da Arc(ジャンヌダルク)さんの曲ですね。「あんまり重いことをしたいわけじゃないけれど、『ブラック・ジャック』のテーマ性をしっかり出したい」といったオーダーをエイベックスさんに出したら、「月光花」という曲が上がってきて、すばらしいなと思いました。

 

 

「スイッチ」が入る作品

─諏訪さんがお好きな企画は何でしょうか? ジャンルとしてはミステリーが多い印象があります。

諏訪 ミステリーは大好きです。ほかにも「シティーハンター」のような事件的なもの、「どうしてそういうことになったのか?」というのを主人公が主人公なりに考えて、ストーリーを進め、事件を解決する作品。そういう「起承転結がきちっとした作品」が好きだと思います。「ドラえもん」(1973~)、「ちびまる子ちゃん」(1990~)、「クレヨンしんちゃん」(1992~)のようなファミリー向けの作品も観るのは大好きなんですが、それよりはストーリー系のほうが自分の趣味に合うと思っています。

─「マンガとアニメの間をつなげる」のが諏訪さんのプロデューサー像とのことでしたが、原作となるマンガはどのように選ばれているのでしょうか?

諏訪 ボクはマンガの「読みオタ」なので、ただ読んでいるだけですよ(笑)。好きなものをいろいろ読んで、その中で「スイッチ」が入る作品に行く、というだけですから。

─「シティーハンター」、「名探偵コナン」、「金田一少年の事件簿」(1997~2000)、「ブラック・ジャック」、「エンジェル・ハート」(2005~06)……、諏訪さんがチョイスする作品はミステリーに限らず、人の生死を扱う傾向があるような気がします。

諏訪 それは意識したことはないですね。それよりも、「ひとりの人間が何を考え、どう動くのか」というのはドラマを左右するので、そこはしっかり見ています。主人公は「ちょっと好きになれないタイプ。でも、目が離せない奴なんだよな」みたいなのが一番いいんですよね。あと、主人公の周りの人物たちが動き出すまで定着すると、ドラマがすごいことになるんですよね。「名探偵コナン」がいい例ですね。

─企画書の書き方、というのもプロデューサーによって異なるようです。諏訪さん独自のこだわりや項目はありますか?

諏訪 ボクの場合は「企画意図」、つまり「どうして今、この作品をやりたいのか?」、「どうしてボクのスイッチが入ったのか?」というところですね。「ストーリーは今までになかった、こういった手を使っているのが新しく、おもしろい」とか、そういったことがきちんと伝わるように企画書を作っています。

 

オリジナル作品は、テレビのビジネスモデルに乗りにくい

─テレビ局のプロデューサーであっても、完全オリジナルアニメを企画するのは難しいのでしょうか?

諏訪 難しいですね。オリジナル作品は、できるならもちろんやりたいですし、原作側にもなれる可能性があるわけですから、メリットは当然あります。だけど、まずは誰も知らないし、宣伝が行き届かない分のロスが出たりするので、ハードルはかなり高いですね。いまだにテレビは日本で最大の「マスメディア」だと思っているんですけど、オリジナル作品はその「マスメディア」で培ってきたビジネスモデルには乗りにくいんです。「100万部売れてるよ」という原作があれば、それが第一歩となって理解をし、広告を出してくれるスポンサーも多くなって、そのおかげでボクらもアニメが作れるわけです。それにテレビには「毎週土曜の夕方6時」というようなタイムテーブルがあって、この時間帯にどれだけの人に観てもらえるかが勝負だったんです。

─テレビでオリジナルをやるというのは、本当に大変なことなのですね。

諏訪 「アニメだいすき!」の頃は、テレビでOVAを流したりして、結構好きなことをやっていたんですけどね(笑)。1987年から1995年の間に25回、春休み、夏休み、冬休みの学校が休みの時に、買うか借りるかしないと観られないOVAを流していたんですよ。当時は、「こんなのテレビでやったら、OVAが売れなくなるじゃないですか!」と言われる時代でしたが、それでも本編終了後に新作OVAの宣伝用映像を流すなどして、OVAをテレビで流せる風潮を作っていきました。

 

「輪廻のラグランジェ」の総括、「ラグりん2」の可能性は?

─「輪廻のラグランジェ」(2012)は、Production I.Gが原作となっていますが、完全オリジナル作品ですよね?

諏訪 「ラグりん」はオリジナルですけど、当時I.Gにいたプロデューサーの平澤直君が入り口なので、I.Gが原作になっています。平澤君から「巨大ロボットのデザインを、日産自動車の人にお願いしている作品があるんです」といった提案があり、ボクもその話に乗って企画が進んでいきました。

─オリジナル作品を手がけたご感想は?

諏訪 すごい勉強になりましたよ。佐藤竜雄総監督とは今でも交流がありますし、鈴木利正監督は「名探偵コナン」のオープニング映像でもお世話になりました。「アニメだいすき!」の頃からそうですけど、違うジャンルの世界に行くと、見識や人脈が広がるんですよね。それがエネルギーの源にもなるんです。

─オービッドはとてもクールで、まどか、ラン、ムギナミの3人の主人公も大変かわいらしいデザインでした。2クール放送され、ファンからは続編を期待する声もあります。

諏訪 ありがとうございます。本当は、「ラグりん2」をやりたいのですが……。