オーケストラの演奏がもたらす新たな発見、そして新鮮な感動!「劇場版『機動戦士ガンダム』シネマ・コンサート」レポート

1979年4月7日に放送開始した「機動戦士ガンダム」。その40周年プロジェクトのひとつとして、シネマ・コンサートが8月16日・17日に東京オペラシティで行われた。シネマ・コンサートとは、映画上映に合わせて劇伴音楽や劇中歌などの音楽を生演奏するというイベントで、ここ数年、さまざまな国内外の名画がこの形で再上映されてきた。今回、「機動戦士ガンダム」という作品も東京フィルハーモニー交響楽団という頼もしい力を得て、劇場版第1作をこの形でファンに楽しんでもらうこととなった。ここからは初日の様子を振り返っていきたい。結論としては、「『機動戦士ガンダム』はなんて面白いんだ」「本当に音楽がいい!」という子供のような感想に尽きてしまったのではあるが。

まずは上映・演奏前、富野由悠季監督が登場され、制作当時は40年後にこのようなイベントを開催できるとは思ってもおらず、「アニメ新世紀宣言」にも話題に触れつつ、1階客席しか埋まらないんじゃないかというご自身の予想を覆すほどの満員の会場に謝辞を述べた。ただし、監督としては大画面で劇場版「ガンダム」第1作が上映されるに至り、「たまったもんじゃない」「針のむしろ」という今の心境も語る。というのも、急なスケジュールなどによって「つぎはぎ映画」だったからだと。相変わらずの軽妙な語り口にガンダムファンたちは口元をゆるませながらも話に聞き入る。そんな挨拶を結び、監督が袖へと姿を隠すと、入れ替わりで指揮者の服部隆之さんが登場、上映がスタートした。

 

宇宙空間にスペースコロニーが映り、重々しい金管楽器の低音が響き始める。そこに重なる弦、そしてティンパニを叩く音。ガンダムといえばこの曲「長い眠り」をまず思い出す人もいるだろう。永井一郎さんの名ナレーション「人類が増えすぎた人口を宇宙に移民させるようになってすでに半世紀が過ぎていた……」が流れると思わず鳥肌が立ってしまう。

そこへ現れるザクがサイド7のコロニー表面に降り立つ。脳裏にはこのあとのシーンが先行して浮かび、過去の記憶が現在の自分に伝える。ザクがハッチの開閉ノブをつかみ、そのまま手首を360°回すところだ、と。以降、今回のイベントは常に自分の記憶と対話する時間にもなった。目の前のスクリーンから名シーンの数々が飛び込んでくると、脳内では勝手に副音声が再生されるという時間が過ぎていく。だが、今回のメインコンテンツである、オーケストラによる素晴らしい演奏は、それ以上に耳を楽しませてくれる。

実は富野監督は、冒頭の挨拶内で述べた、リハで音を確認したところ「基本的にややセリフが聞きづらい」「でも今回のメインは生演奏だからご容赦を」という註釈を述べていたが、むしろその点は功を奏していた。会場を訪れたのは「ガンダム」を知っている者であり、筆者をはじめ、セリフが聞こえずとも脳内で補完される人ばかり。ましてや目前には大画面のスクリーンがあるわけだから、台詞が聞き取りづらくともさほど問題はない。むしろセリフが聞こえていたら物語に集中してしまっていただろう。それほどに「ガンダム」は今も色あせない。強引にでも音楽に耳を向けさせるくらいが、劇伴の魅力を伝えるにはちょうどよかったと感じる。

モニターの中にいるセイラが「アムロならできるわ」と艶やかな台詞を口にし、ガンダムのコクピットに乗るアムロが「アムロ行きまーす」と言い放ち、宇宙空間での戦闘の火ぶたが切られる。この、「ガンダム」らしい有名なシーンも、流れる金管楽器の音圧が、弦楽器の奏でる旋律が、今まで以上に高揚感を高めてくれる。

 

 

いっぽう、「機動戦士ガンダム」がいかなる名作であっても、頻繁に見返している者は少ないだろう。最後に見たのは十数年前、という人も多いはずだ。正直筆者も、リアルタイムで劇場版三部作を映画館にて見たものの、最初から最後までしっかりと見るのはそれ以来な気がする。つまり、今回のシネマ・コンサートは、いわゆる「ファーストガンダム」と久々に接する機会を与えるものでもあり、そのうえで、ガンダム音楽の素晴らしさを再発見できる場でもあった。オーケストラによる生演奏は高音から低音まで、TVや劇場版で聴いたものよりも深みと厚みに満ちており、各楽器が強く力を持っていた。そのおかげで今まで気づかなかった部分にまで目が、いや耳がいく。

たとえば、大気圏突入直前の緊迫したシーンでは、高らかなトランペットも心に響くが、四つ打ちを刻むドラムやティンパニの魅力にも気づかされる。四つ打ちということで、シャアのテーマとして「シャアが来る」と並ぶ「颯爽たるシャア」頭に浮かぶ人もいるかもしれない。空気を切るような弦と目が覚めるようなトランペットが鼓膜を捉えて離さない楽曲だが、始まりの四つ打ち、そして生演奏による太いリズム隊あっての魅力だったのかと気付かせる。劇伴となると弦楽器あるいは金管楽器の印象が残りやすいが、この夜はティンパニやドラムの活躍に酔いしれさせられた。

いっぽうで、「窮地に立つガンダム」という、その曲名通りのシーンで演奏される楽曲がある。「ジャッジャッジャージャッ」という印象的な音色、といえば伝わるかもしれないが、あの音がギロから放たれていた音色だと、今回視認することもできた。少年の頃は何も考えずに聴いていた音、音楽をあらためて味わわせてくれる時間だった。

驚きという意味では、ガルマからのボイスメッセージを聴き返すデギンのシーンで流れたアコースティックギター。弦を1本ずつはじいての単音による楽曲で、シンプルで地味なだけに記憶に残っている人は少ないだろう。だが、今回のシネマ・コンサートでは、哀惜に堪えられないデギンの想いを非常によく表している楽曲であると、演奏によって知ることができ、今回のシネマ・コンサートの中でも特に印象に残った時間となった。

 

さらに言えば、子どもの頃は、アムロやシャアといったニュータイプたちを中心に、激しいモビルスーツ戦が繰り広げられる「哀・戦士」編や「めぐりあい宇宙」編が好きだったが、シネマ・コンサートによって劇場版第1作の魅力に気づけたとも思っている。と同時に、シネマ・コンサートで劇伴の魅力を一番伝えられるのも第1作だったのではないか。単なるロボットアニメではなく、戦争という苛烈な状況に生きる人々を描いた「ガンダム」。その画面には、機微や、会話の中に生まれる緊迫した「間」が現れる。そんな不穏な緊張感を、楽曲が大いに盛り立てているからだ。特に、シネマ・コンサートの後半がその時間だった。

シネマ・コンサートは2部構成となっており、前半は、ホワイトベース内のエレベータを下りるマチルダをアムロが見送り、ミデアが飛び立つところで終了する。そして休憩時間が挟まれ、後半は、シャワー中のシャアをガルマが訪れるシーンからとなる。そこからエッシェンバッハ家でのパーティーシーンへと移り、「ガンダム」では数少ない3拍子の舞踏会音楽も生で堪能できるが、つまり後半は、ガルマの死、マチルダ中尉への思慕、母からの巣立ちといったエピソードが並ぶ。そこに描かれているのは、兵士もひとりの人である、という内容だ。前述したデギンのシーンもそうであったが、アムロが母であるカマリア・レイを訪ねたあと、コア・ファイターでジオン軍の前線基地を襲撃するシーンは非常に印象に残った。流れるBGMが、戦闘シーンとは思えないほど重苦しいものであったからだ。つまり、戦争のシーンではあるが、主題はアムロの成長にあった。TVシリーズではガンダムを空中換装するシーンもあったが、劇場版では削られ、ガンダムは一切登場しない。ただただ、親子の再会と別離にテーマを絞ったという富野監督の意気込みを、音楽によって強く感じとることができた。渡辺兵夫と松山祐士の2人が生み出した壮大な楽曲を楽しむだけではなく、「ガンダム」という作品を味わうという意味では得るものの多い時間であった。

 

 

上映終了後にはトークショーの時間が用意されており、初日は富野監督の登壇が発表されていたが、司会者に呼び込まれた富野監督は、「機動戦士Zガンダム」や「機動戦士ガンダムF91」で主題歌を歌った森口博子さんの手を引いて、ステージに現れた。続いて、服部隆之さんも登場し、「ガンダム」話に花を咲かせていった。特に、今回のシネマ・コンサートにあたって編曲も手がけている服部隆之さんからは、尺に合わせて楽曲を延ばすといったアレンジを加えたところもあるが、当時の譜面からすでにボリュームある楽器編成となっており、オーケストレーションというよりは「原曲を忠実に再現」したとのことだった。その話は会場からするとまさに今体験したことであり、生音によるボリューム感やクオリティの上乗せはあっても、40年後の再現という意味では脳内イメージを損なう瞬間は一切なかった。結果、ただただ、劇場版の残り2作を見たくて仕方がなくなってしまった。

 

実は40周年プロジェクトとして、「ガンダム映像新体験TOUR」と銘打ち、「ガンダム」シリーズ作品を全国の映画館で最新の上映システムで味わえる企画も待ち構えている。具体的には、9月に「逆襲のシャア」と「ガンダムNT」が「4DX」で上映されるほか、「機動戦士ガンダム」劇場版3部作なども「ULTIRA」や「DOLBY CINEMA」で上映されることになっている。が今は、ジャブローの死闘やア・バオア・クーの決戦、マチルダやドズルの最期を見たい気持ちと同時に、劇伴も聴き比べしたい、そんな心持ちにある。心の底からシネマ・コンサートでのできれば「哀・戦士」編と「めぐりあい宇宙」編上映を望みながら帰途に就く、そんな一夜であった。

 

(取材・文/清水耕司)