真木太郎プロデューサーが振り返る、もうひとつの「この世界の片隅に」戦記。 【アニメ業界ウォッチング第49回】

2016年11月の公開以来、2年近くを経た現在も劇場上映が継続されているアニメ映画「この世界の片隅に」。本来の構想であった全150分の全長版「この世界の(さらにいくつもの)片隅に」(2018年12月公開予定)の制作が進んでいる。「いい作品になるだろうけど、金にならない」と言われ続け、企画から公開までに6年もの歳月を要した「この世界の片隅に」。この企画を救ったのは、株式会社ジェンコの代表、真木太郎さんだ。「金にならない」映画の資金を集めるため、いかに奔走して、いかに戦ったのか、その顛末をお聞きした。

この監督を世の中に出すのが、プロデューサーの役割

── ジェンコさんは、プロデュース専門の会社と考えていいんですか?

真木 アニメと実写のプロデュース会社ですね。プロデューサーひとりでやっている場合も多いですから、プロデューサーの集合組織はウチだけではないでしょうか。もう21年やっているので、老舗ですよ。

── 真木さんは80年代からアニメのプロデュースに関わってらっしゃいますね。どのようなキッカケでアニメの世界と関わるようになったのでしょう?

真木 80年代には、東北新社に所属していました。その当時は、ビデオソフト用のVシネマやOVAを各社がやり始めた時期です。洋画の買い付けが一番多くて、実写の日本映画は惨敗で、アニメが儲かった時代です。

── ジェンコは、真木さんが設立したわけですね?

真木 そうです。ジェンコをつくる前にはパイオニアLDC(当時)にいて、「天地無用!」シリーズがヒットしていました。だけど、レーザーディスクが売れなくなって会社がガタガタになってしまったんです。ガタガタの会社と当たっているアニメを共有するのは難しいので、ジェンコをつくって「天地無用!」シリーズのプロデュースを続けたわけです。

── 「この世界の片隅に」の企画を知ったときには、もう絵コンテができていたそうですね。

真木 はい。それが12月公開予定のロングバージョンの絵コンテです。

── 丸山正雄さんから相談を受けたわけですか?

真木 そうです。当時の丸山さんはMAPPAの社長ですから、スタジオのプロデューサーですね。丸山さんはお金を集める人を探すことはできるけど、丸山さん自身が幹事にはなれません。
順を追って話すと、「この世界の片隅に」の企画書をもらって読んだあと、片渕須直監督の「マイマイ新子と千年の魔法」(2009年)を見たわけです。「この監督は尋常じゃない、ものすごい力量がある」と、ノックアウトされました。しかし、僕も業界にいるので、「マイマイ新子~」がどんな宣伝をして、どれぐらいの成績だったか、だいたいわかるわけです。すると、「マイマイ新子~」は確かに宣伝しづらい映画だろうし、お客さんとの距離の取り方が難しかったのも理解できる。それは「この世界の片隅に」も変わらないな、と思いました。戦争物だし、アニメならではのファンタジーがあるわけではない。だけど、「この監督を世の中に出すのがプロデューサーの役割だろう」と、「マイマイ新子~」を見て思ってしまったんです。
丸山さんは僕のところに企画を持ってくる前、他社に企画を託していました。その会社は、ビデオメーカーなどに話を持っていくだけだったんですね。監督とも会っていないし、それじゃあ、ダメに決まっている。だから、数字を含めた事業計画をつくりました。現実的かどうかは別にして、この数字を上回れば儲かるし下回れば損するし……というシミュレーション、数字のガイドラインですね。それをつくらないで、単に「いい作品ですよ」と言っても説得力がない。僕が会う相手はサラリーマンばかりですから、「いい作品ですよ」だけでは稟議を通せないんです。
1年半ぐらい僕が預かっていて、10分×12本で配信するため、配信用の絵コンテを片渕監督につくってもらったりもしました。その間にも金がない、だけど片渕監督は広島へ足を運んで絵コンテを具体的な映像にするための設計図を固めていく。ヒットした今だから、美談のように語られているけれど……。僕は業界のほぼ全部と言ってもいいぐらい、多くの人たちと会いました。そのとき、絵コンテがクレジット抜きで150分あったんです。尺が長いのはみんな嫌うし、これじゃあ金が集まらないという話をしました。30分カットして、何とか120分に収めてほしい、とお願いしたんです。