心がワクワクするアニメ、明日元気になれるアニメ、ずっと好きと思えるアニメに、もっともっと出会いたい! 新作・長期人気作を問わず、その時々に話題のあるアニメを紹介していきます。
So Cool! 美人のお栄がなんとも粋
「百日紅(さるすべり) ~Miss HOKUSAI~」は、天才浮世絵師の葛飾北斎と、娘のお栄の父娘の日々を描いた物語だ。サブタイトルが「Miss HOKUSAI」とあるように、主人公は娘のお栄、23歳。後に葛飾応為の名で知られる、女流浮世絵師だ。
「変ちきな爺ィがおりましてサ」
独特のセリフまわしで始まる映画の冒頭に、わくわくする。杉浦日向子のコミックで読んだト書きを、こうして耳で聞くことになるなんて思わなかった。
間もなく現れる、一人称「おれ」の父親に負けず劣らず強烈な存在感の娘が、主人公のお栄だ。女優の杏が演じる声がまたいい。我が道を行く意志の強さがよく表れている。父に劣らぬ頑固もの。凛としているが気取らない。それでいて、恋にはうぶなところがあり、女性としてのかわいらしさも感じる。
映画のビジュアルを見たとき、「お栄ってこんなキャラクターだっけ?」と面食らったけど、それもそのはず。アニメのお栄は原作よりも数段美人になっていた。
これについては賛否両論あるかもしれないが、たぶん正解だったと思う。始まって5分で、このお栄が好きになっていた。「小股の切れ上がった女」ってこういう感じ? お栄が青空の下、両国橋を闊歩するシーンにかぶって流れるBGMのロックが、粋でとても似合っている。
お栄のキャラクターデザインに代表されるように、この作品では全体に、絵作りがスッキリと“アニメらしく”なっている。この作品で大きな役割を果たすことになった、お栄の妹のお猶(なお)も、かわいらしさと強い個性が原作より際立っている。
いっぽうで、父親の「鉄蔵」こと北斎や、居候の善次郎、お栄に気がある国直などは、原作のテイストが強く出たキャラクターだ。「ああ、杉浦日向子のキャラが動いている!」と、ニヤリとしてしまう。
感じるのは、父娘の家族への思いと絵師の業
杉浦日向子の漫画「百日紅」がアニメ化されると最初に聞いたとき、「おお!」と興味を持たずにはいられなかった。
彼女が江戸の世界で描くのは、庶民が主人公の日常だ。どこかからっとしていて明るく、男女の色恋も含めて、誰もが人生を楽しんでいる。物語に予定調和的なオチはない。前ぶれなく怪異と日常が交差し、ざわっと波立ってまた静まりかえる。そこには、現在のエンターテインメントにありがちな、過剰な作為やサービスがない。
言ってみれば、物語が体験者の語る実話のように、確かな存在感で自立しているのだ。漫画で描かれていた個性的なあの世界をどんなふうにアニメにするのか、興味があった。
映画を見ながら思ったが、杉浦日向子の漫画をアニメ化するとしたら、10人の監督が作れば10の異なる世界が描き出されるのだろう。もちろんこれは漫画や小説が原作でも、彼女の作品は、原作があえて語りきらない部分をアニメでどう解釈するかで、さらに表現の違いが大きくなると思えた。
その中で、原恵一監督が出したひとつの答えが、この「百日紅 ~Miss HOKUSAI~」なのだろう。
原作の1話完結のエピソードをつらつら並べるだけでは、映画として始まらないし、終わらない。原監督が選びだしたのは、お栄を主人公とした話、北斎との父娘の関係が表れた話、そしてお栄の妹、盲目で身体の弱いお猶に関わる話だった。
「Miss HOKUSAI」では、お猶の比重が原作より大きくなっている。だからこそ、お栄と北斎のエピソードで、絵師仲間よりも家族とのドラマのほうが強く感じられるのだろう。
浮かび上がる縦軸の話が、お猶を中心とした家族の思いだとすると、横糸は絵師の業、と言っていいのかもしれない。
お栄と鉄蔵は、絵に取りつかれた似た者親子だ。お栄は父の代筆もやってのけるほどの腕を持っている。父娘で絵を描く限り、自分たちの食い扶持(ぶち)は稼いでいけると豪語するお栄。アトリエである家は、誰も片付けや掃除をしないので散らかり放題だ。
そんな変わり者だけど、お栄だって恋もする。絵は上手いけれど、マジメさが裏目に出ることもある。そして型破りで怖いものなど何もないような父親も、家族の死の匂いだけは少し怖い。
そんな家族の、こわごわと触れ合っている心の機微を描かせたら、原監督はそりゃもう名人なのだ。
ここが印象的! 心に残った名場面
まだ見ていない人の興をできるだけそがない範囲で、映画から印象的だった名場面をあげてみよう。
まずは、冒頭の龍の絵のエピソードから、白い紙に向かいあう、ちょっと鬼気せまる感じのお栄がいい。
ろうそくの灯りのほの暗さ、揺らぐ灯りに浮かび上がる室内の光景、近づく嵐にざわめく空気。原作の行間ならぬコマとコマの間にあったであろう光景を、見事に切り取った、雰囲気たっぷりのシーンだ。お栄の絵にかける気迫、才能がよく表れている。
お栄とお猶が姉妹で触れ合うシーンは、どれもいい。橋の上のシーン、舟遊び、そして冬の雪のシーン。お猶は素直でけなげだし、お栄も妹に対してはやさしい感情をまっすぐに出していて、見ていてほっとする。見えない目ですべてを見ているお猶の言葉は、姉の恋心に感づくなど、真実をついているのもおもしろい。
そしてクライマックス。原作の「野分」に当たるお猶のエピソードは、やはり胸にせまる。ここまで積み重ねられた姉妹愛の描写のあとにこれがくると、くやしいが、気持ちよく演出に乗せられてしまうしかない。
特に、お栄が駆け出したあとの、原作にはない北斎のつぶやきがぐっとくる。北斎の不器用な家族への思いと、絵師としての業のようなものが出て、「ああ、ここがこの映画の北斎のゴールなんだ」と納得させられる。
そしてこの映画は細かいところも楽しい。
全体に、犬と善次郎はいいお芝居をしてくれました! なごむしよく動くしで、アニメはやっぱりこういうのが楽しい。
陰間(男娼)の吉弥もよかった。あっけらかんとして、色っぽい。この作品では江戸時代のポルノである春画も吉原の花魁も登場するけれど、このシーンが一番色めいていた。
水墨画風の絵が動いたり、現実の光景がいつのまにか有名な浮世絵になったりという、アニメならではのお遊びもたっぷり。
演出としては、「背景動画」という手法が使われたクライマックスでお栄が走るシーンが、手描きの力技で、しっかり緊迫感を盛り上げてくれる。そこだけ取り上げて評価するのも無粋だが、感情を揺さぶられるような感覚は、やはりCGでは得られない味だなと思う。
昔に読んだためずいぶん忘れている気がして、映画のあとで久々に原作コミックを読んだ。原作から原監督がどれだけのものを選びだして切り取り、そこにさらに積み上げたか、改めて読み返すとよくわかって興味深い。
原恵一監督にこの映画で興味を持った人には、児童文学を原作とした前作の「カラフル」(2010年公開)をオススメする。不器用な家族の間にある感情、淡々と積み上げた描写が、クライマックスで心にぐいぐい効いてくるのを実感できるだろう。
(文/やまゆー)