「伝説巨神イデオン」、「戦闘メカ ザブングル」、「聖戦士ダンバイン」……1980年代前半、「機動戦士ガンダム」で大ヒットを飛ばした富野由悠季監督の作品で、ときに艶やか、ときにコミカルなキャラクターをデザインしつづけた湖川友謙氏。サンライズ作品でその独創的な絵柄を知られる前は、わずか20代で劇場大作「さらば宇宙戦艦ヤマト」の総作画監督を務めるほどの敏腕アニメーターだった。
今月2017年6月30日、湖川氏のサンライズ作品を集めた「湖川友謙 サンライズ作品画集」(一迅社)が発売される。初めての画集発売を機に、独特のアオリの構図からメカニックデザインまで、気ままに語っていただいた。
お富さん(富野由悠季監督)との出会い
── 最近の湖川さんのお仕事というと、「宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち」(2017年)の原画がありますね。
湖川 お手伝い程度です。ズォーダー大帝とその周辺だけ。ファンも喜んでくれているし、ズォーダー大帝の作画作業は今後もつづけます。
── ちょっと前だと「さよなら絶望先生」(2007年)、「俗・さよなら絶望先生」(2008年)の作画監督や絵コンテも手がけられていますね。これはどういう経緯で?
湖川 それが、よく覚えてないんです。シャフトとは、以前から付き合いはあったのですが……人手が足りなかったんじゃないでしょうか。原作の漫画家(久米田康治)さんが、私のファンだとは聞きました。番組のエンドカードを頼まれて、絶望先生と(「聖戦士ダンバイン」の)マーベル・フローズンを描いたんです。すると、原画が戻ってこない。「原作者が欲しがっていたので、あげちゃいました」と言うんです。とてもよろこんでいたそうなので、それなら仕方ないかなって(笑)。
── 湖川さんのアニメ業界でのキャリアは、東京ムービーから始まるんですよね。
湖川 そう、最初に関わったのは「巨人の星」(1968年)でした。
── 東京ムービーの次が、タツノコプロですね。
湖川 タツノコの社員になったわけではなく、外注です。最初の仕事が「アニメンタリー決断」(1971年)で、「ヤッターマン」(1977年)まで何本か原画をやりました。「破裏拳ポリマー」(1974年)のとき、お富さん(富野由悠季監督)と会ったんです。彼が演出していた回が、たまたま私の担当話数でした。それ以降、別の作品でも「作画やってくれない?」と、お富さんから電話が来るようになりました。いつも、打ち合わせは5分ぐらい。そのあと3時間ぐらい、喫茶店でアニメに関する雑談をえんえんと続けていました。ギャグ物をやりたいとか、実写映画だとこうなのにアニメではこうだよねとか……その時間が、とても楽しくてね。
── 富野監督の「無敵鋼人ダイターン3」(1978年)にも参加されていますね。
湖川 最初は、キャラクターデザインを頼まれていたんです。だけど当時、何か私用があって、1週間ぐらいまったく時間がとれませんでした。1週間後にスタジオへ行くと、もう味方側のキャラクターができていたので、私は敵キャラクターだけ依頼されました。「ダイターン」の敵キャラって、ちょっと「イデオン」っぽいでしょ? だから、もし味方側も私がデザインしていたら「ダイターン」の世界観は大きくリアル寄りに変わっていただろうし、同じことをやりたくないから、「イデオン」のキャラクターデザインはさらに変わっていたでしょうね。
── “同じことをやりたくない”から、「戦闘メカ ザブングル」(1982年)、「聖戦士ダンバイン」(1983年)と、どんどんデザインが変わっていくわけですね。
湖川 「イデオン」は宇宙間の戦争モノですよね。アニメでは、ドイツ軍をモデルにした軍服が多いのです。第二次大戦時、ヒトラーが国中から選りすぐりのデザイナーを集めて、軍服をデザインさせたという話があります。ですから、バッフ・クランの軍服は着物、振袖にしてみました。とても動きにくい軍服だけど(笑)。とにかく何か変わったことを考えないと、周囲に刺激を与えられない気がしていました。
── 「ザブングル」のネジのような目のハイライトも、“変わったこと”のひとつですね。
湖川 あのハイライトは、ひらめきですね。目のハイライトなんて、四角でも三角でもいいわけでしょ? 取材のたびに「なぜネジのようなハイライトなのですか?」と聞かれるんですけど、ひらめきだから説明のしようがありません。