2003年に放送されたテレビアニメ「超ロボット生命体トランスフォーマー マイクロン伝説」オープニングテーマ「TRANSFORMER -Dream Again」で鮮烈なデビューを飾り、翌2004年の東映スーパー戦隊シリーズ「特捜戦隊デカレンジャー」主題歌で大ブレイクを果たした音楽ユニット・サイキックラバー。ボーカルのYOFFYさんとギターのIMAJOさんからなる、デビュー20周年を越えてなおアニソン・特ソン界をけん引するロックユニットだ。
デビューのきっかけとなった「トランスフォーマー」がシリーズ40周年を迎え、デカレンジャーもまた、20周年記念作「特捜戦隊デカレンジャー20th ファイヤーボール・ブースター」が公開される祝祭ムードの中、サイキックラバーのワンマンライブが7月21日に東京・新宿にある「HOLIDAY SHINJUKU」で開催される。デビューから20数年に及ぶこれまでの歩みを振り返るとともに、ライブに向けての意気込みを存分に語っていただいた。
──アニソン・特ソンを数多く手掛けて来られたお2人ですが、ご自身にとっての原点となっているようなアニメやヒーロー作品は、なんでしょうか?
IMAJO 僕はもう完全に「宇宙刑事ギャバン」(1982)でしたね。シャリバン、シャイダーと続く宇宙刑事シリーズが大好きでした。ポスターとか部屋に貼ったりして。もっと幼い頃はウルトラマンですね。
YOFFY 僕もまずはウルトラマンですね。後、「アクマイザー3」(1975)、「宇宙鉄人キョーダイン」(1976)、「忍者キャプター」(1976)とかのヒーロー番組も大好きでしたね。たぶん年齢的には再放送だったと思うんだけど。僕は長野県出身なので、子どもの頃、民放が2局しから映らないし、放送時期もズレてることが多かったんで、不思議な視聴体験してるんですよね。
IMAJO ウチは父親が音楽家だったこともあって、家にレコードがいっぱいあったんですけど、アニメのレコードを部屋に広げながら、自分で作った仮面ライダーのお面を被って宇宙戦艦ヤマトのプラモデルで遊んでるみたいな、そんな少年でした(笑) ささきいさおさんのヤマトの主題歌は、ウチの父親も好きで、率先して自分でレコード買ってきたりしてね。その後、「デカレンジャー」でオープニングが僕たち、エンディングがささきさんになったときに初めてお会いして、そのレコードジャケットにサインをいただきました(笑)
YOFFY あぁ、僕も確かにヤマトだ。後「銀河鉄道999」(1978)。要するにアニメの入口は「ガンダム以前」ですね。もう小学生になると、サンライズのロボットアニメどっぷりになっちゃうんで、僕の場合(笑)。まだ小さかったのでガンダムをストーリーの奥深さまでは理解できてなくて、その後の「戦闘メカ ザブングル」(1982)、「聖戦士ダンバイン」(1983)、「重戦機エルガイム」(1984)なんかは、もうドハマリでしたよ。自分のお小遣いで最初に買ったレコードは、「重戦機エルガイム」の「エルガイム-Time for L-GAIM-」と「風のノー・リプライ」ですし。ただ、特別にアニメ好きだったわけでもなくて、当時の少年にはそれが当たり前で、それ以外の選択肢はなかったんですよね。
IMAJO そうそう。ある意味、きわめて普通の男の子でしたよ。アニメ見て、ファミコンやって、ミニ四駆やって……みたいな。
YOFFY 幼稚園の頃はとにかく、どんなヒーロー番組もささきいさおさんか水木一郎さんが主題歌を歌ってた時代ですよね。小学生になると自発的にアニメソングを聴くようになって、ラジカセの外部入力にテレビの音をラインでつなぐことを覚えるんですよ(笑)。それでとにかくすべての主題歌を録音するの。杏里さんの「キャッツ・アイ」(1982)とか、ちょうどアニメソングがヒットチャートに入るようになって、ベストテン番組でアニソンが流れるようになった頃ですね。アニメ「みゆき」(1983)の主題歌「想い出がいっぱい」を歌ったH2Oもそう。彼らは僕たち長野県民のヒーローだったので。
IMAJO そんな憧れだったささきいさおさんや水木一郎さんと、一緒に仕事ができたり、仲良くさせてもらえたのは、本当にうれしいことですよ。
──アニソンを通過しつつ、中学高校時代には徐々にポップスやロックにハマっていかれたと思いますが、音楽やバンドへの目覚めは、いつ頃、どんなアーティストへの憧れからだったのでしょうか?
IMAJO 1988年に東京ドームが完成したとき、こけら落としで最初に音楽コンサートをやったのってTHE ALFEEなんですよ。そのチケットをなぜか父親が手に入れてきて、僕、見に行ってるんです。そのときに、「星空のディスタンスっていい曲だね、お父さん」とか話した記憶があって、それでTHE ALFEEにハマるんですよね。父親ももともとギタリストだったので、家にもクラシックギターがあったし、僕も見よう見まねで弾いてたんです。でもそれ以降、エレキギターがやりたくなって、中学1年のときに買ってもらいました。THE ALFEEから始めてラウドネス、メタリカ、ヴァン・ヘイレン、アイアン・メイデンとか、ヘヴィ・メタル/ハード・ロック専門誌「BURRN!」をとにかく読み漁って、載ってるバンドを聴き漁って、そこからロックに傾倒していった感じですね。
YOFFY 僕の場合、歌番組世代なので各局の歌番組は欠かさず見てました。とにかくテレビとラジオと、そのエアチェックですね。当時、FMの番組表が載ってるラジオ雑誌ってあったじゃないですか。あれを買ってきて、長野で聴ける局の1か月分の曲目を全部調べて蛍光ペンで印をして、全部録音するんです。チャートマニアでもありました。オリコンとか、ラジオの歌謡ベストテンとかのランキングを毎週ノートにつけたり(笑)。ただ、TBSの「ザ・ベストテン」だけは観せてもらえなかったんです。なぜかというと、父親がわりと硬い経済関係の仕事をしていたので、NHKの「ニュースセンター9時」だけは欠かさずに見る家だったんですよ。9時台の他の番組は一切見られませんでした(笑)
それがどこかのタイミングで洋楽に切り替わるんですよね。たぶん、マイケル・ジャクソン、WHAM!、マドンナとかのMTV時代の初期ですね。小林克也さんの「ベストヒットUSA」とか、マイケル富岡さんとセーラさんの「MTV:Music Television」が情報源でしたね。それで、1987年ぐらいにボン・ジョヴィとヨーロッパとホワイトスネイクが一気に全米ヒットチャートを占領する年があって、それでメタルにハマって、そこからメタル一色になりました。
でも最初の話に戻りますけど、英語の歌への憧れをひも解いていくと、やっぱり「銀河漂流バイファム」(1983)の主題歌「HELLO, VIFAM」が最初だったんじゃないかな、とか思うことありますね。初めてハード・ロックっぽさをカッコいいと感じたのも、もしかしたら「エルガイム」だったんじゃ!? とか。やっぱりアニソンは原点なんですよ。
──ヘヴィ・メタル/ハード・ロックに傾倒していく中、ボーカルやギターで自らも演奏する側になりたいと思うようになったきっかけは?
IMAJO 僕は人一倍目立ちたがり屋で、小学校のときから何かあると手をあげるようなタイプで、中学高校の文化祭でもコピーバンドやりまくりでした。ブルーハーツ、JUN SKY WALKER(S)、プリンセス・プリンセス、X JAPAN、BOØWYとひと通りはギター弾いてました。だから中学の頃から、自分の顔が写ってるCDを出すっていう「予定」でいました。「夢」とかじゃないんです。もう絶対そうなる、デビューしてやると思い込んでいたので「予定」ですね(笑)。それ以外には考えていませんでした。
YOFFY 僕の場合、やっぱりハード・ロック聴いてるとどうしてもギターを弾きたくなるわけで、高校生の頃、恐る恐るギター買ったんですよね。でも周りに教えてくれる人も全然いなくて。
IMAJO 「恐る恐る」ってなに?(笑)
YOFFY いや、ジョー(※IMAJOさんのこと)の育った横浜と違って、長野じゃエレキを持っていること自体、ちょっと奇異な目で見られるわけよ。
IMAJO でも軽音楽部みたいな部活はあったでしょ?
YOFFY あったけど進学校だし、女子30人で男子10人みたいな感じで、あんまり活発じゃなかったんだよね。そこに入ってみたものの、ギターを教えてくれる先輩もいないから全然上達しなくて。ミュートもオルタネイトピッキング(※ピックのアップとダウンを繰り返して弦を弾く演奏法)も知らないからダウンストロークだけの一直線な演奏しかできないし。それ変だよって言ってくれる人もいないから、バンドスコアと楽器屋の店員さんだけが頼りで(笑)
そしたらある日、長野に坂本英三さんがやって来るんですよ。Anthemを脱退したばかりで、当時は「練馬マッチョマン」というバンドをやっていて。Anthemはもちろん知っていたので喜んで見に行って。お客さんは対バン(※共演バンドのこと)を含めて9人しかいなかったんですけどね。ただ、そこで英三さんと出会ってしまったことでスイッチが入っちゃうんですよ。俺もバンドやりたいぞ!って。それで、次に英三さんが長野にツアー来るとき、前座として迎えられるようになりたくて、ちゃんとバンドを組んだんです。
ここから人前で演奏したい欲が出て、X JAPAN、スキッド・ロウ、モトリー・クルー、ラウドネス、もちろんAnthemを含めてコピーしまくりました。そうこうしているうちに、東京にはバイトをしながらインディーズでバンドをやってるやつらがゴマンといるぞ!みたいな話を聞いて、「それだ!」と思っちゃって。そこで思考が切り替わっちゃって、すべての受験勉強をやめちゃうんですよ。もう高校三年生なのに。親は激怒ですよね(笑)。雑誌「ヤングギター」とかに載ってる専門学校の広告を見て、これは学校法人だから卒業したら短大卒と同等の資格が得られるよ……なんて親をムリヤリ説得して、卒業と同時に長野から上京して、専門学校のプロミュージシャン科ギターコースに入るんです。
──そんなふうに当初はギタリストを目指していたYOFFYさんが、ボーカルの道に進んでいくのは何がきっかけだったのでしょうか?
YOFFY 東京でバンドを組むんですけど、なかなかいいボーカリストに巡り会えなかったんです。なので仕方なく自分で歌い始めた感じですね。ただ、ギターに関しては、「あれ? 俺、思ったよりも速弾きうまくないぞ」とか「指短くないか?」とか、東京で仲間が増えるといろんなことに気付いてしまうわけですよ(笑)。そのうち、ボーカルとしてパフォーマンスする方に快感を覚えるようになってきて。僕はボーカル兼サイドギター、別にリードギターがいて、ドラム、ベースという4人組バンドを組んで、ライブハウス「鹿鳴館」なんかの、東京のインディーズメタルバンドがひしめくシーンに入っていったのが、20代の前半ですね。
──サイキックラバーという名前の付いたバンドは、もうその頃から存在していたそうですが……
YOFFY 東京に出てきてすぐに組んだ「江戸川ボンバー」って名前のバンドが母体です。後に「サイキックラバー」に改名するんですが、やってる音楽はあまり変わってないですね。
IMAJO 僕が入ったときは、ツインギターにキーボードもいる6人組だったよね。
YOFFY そうそう。いろいろ変遷があるんです。メンバーチェンジも多かったし。ジョーが入ったときの6人が最大だったかな。人数が多い方がスタジオ代の割り勘が安くなるからって(笑)。その後、B’zのライブを見て、これからはライブも打ち込みだ!って影響されて、打ち込みとバンドの同期演奏に力を入れるようになったりね。その頃の90年代半ばって、渋谷系やバンドブームもちょっと一段落して、小室哲哉さんのTKファミリーがとにかく音楽界を席巻していましたよね。バンドやるならビジュアル系だし、僕らがやりたい音楽をやる隙がどこにもないんですよ。ライブは月3本くらいずっとやってたし、所属事務所も決まってたんですけど、決定打がなくてなかなかデビューできない……そういう20代を送りました。
IMAJO 僕もその頃はサイキックラバーや他のバンドを掛け持ちする一方で、飲食系のアルバイトが好きで、厨房で刺身切ったりしてる毎日でした(笑)。飲食店で当時2年か3年以上働いてると調理師免許を取れる資格を与えられたので、それを取って自分の店でも持とうかなとか思ってた頃に、CS局のキッズステーションの番組「アニぱら音楽館」レギュラー出演の話が来るんですよ。
YOFFY その頃、デモMDをバンバン作ってあちこちにまいていたんです。MDですよMD(笑)。いろんな業界の方の手に渡ってたみたいで、ある日、アニメ関係の音楽制作をやっている事務所の社長さんから電話が来て、「影山ヒロノブさんの番組があるから出てみないか?」って連絡がきたんです。僕は影山ヒロノブさんが歌ってるアニソン・特ソンの主題歌が好きでCDも持ってましたし、影山さんに会えるならやりたいと思ったんです。僕とジョーはアニメの免疫も知識もバッチリだったしね。バンドとしては停滞してたから、それならジョーと2人のユニットとして再編成しようと。そしたら番組からも「大勢のバンドの面倒は見れないから2人で十分」って言われて(笑)。そこから今のサイキックラバーの姿になり、「アニぱら音楽館」にお世話になることになったわけです。まさか14年間もやらせていただくことになるとは思いませんでしたけど。
IMAJO だから、僕たちはテレビデビューの方が先なんです。レコード/CDが出てこそデビューだと思ってたんだけど、水木一郎さんに「テレビに出たときがデビューだから、それがデビューでいいんだよ!」って言われました(笑)。
YOFFY そう。「アニぱら音楽館」に出始めたのが、たぶん2001年10月ですけど、2002年の年明けには、JAM_Projectさんとか、Project DMMさんとかのそうそうたるメンバーと一緒に大宮ソニックシティで共演してるんですよね。CDも出てない、誰も知らない謎の2人組なのに(笑)。
IMAJO その頃って、スパロボブームで水木さんや堀江美都子さん、MIO(MIQ)さんなんかの出るライブが続々始まったり、JAM_Projectが結成されたり、アニソンをめぐるいろんなムーブメントが一斉に動き出しましたよね。だから僕らと同じ時期にデビューしたアニソンユニットって多いんですよ。
YOFFY その少し前に、池袋の練習スタジオの受付で時給700円のバイトしてたんですけど、その街角でangelaがストリートライブしてるのをみてましたよ。ストリートなのにすごい機材でライブやってる人たちがいる!って驚いたんですよ。そのangelaともほとんど同期デビューですから、2000年近辺ってやっぱり節目なんだと思います。
──そしていよいよ2003年にテレビアニメ「超ロボット生命体トランスフォーマー マイクロン伝説」主題歌でCDデビューに至るわけですね。
YOFFY そうなんですけど、実はトランスフォーマーでのデビューは、もう2002年には決まっていて、レコーディングも済んでたんですよ。でもこのシリーズは、アメリカで一定期間放送した後、逆輸入的に日本での放送が始まる形式だったので、1年間は秘密のまま我慢して待たなくちゃいけないという条件付きだったんです。だから、「アニぱら音楽館」でもさらに1年間、CDの出てない謎のデュオとして出演してました(笑)。
IMAJO その謎の待機期間中に、堀江美都子さんのワンマンライブとか「アニソン女子部」のバックバンドにギタリストとして呼んでもらったりして、とてもお世話になったんですよね。
YOFFY 僕もコーラスメンバーとして声をかけていただいたんですけど、アニソン歌手の皆さんって、本当にうまい方ばかりなんですよ。入ったばかりのアニソン界を見渡して、自分のボーカルのレベルに愕然としていたんですよね、この頃。なので申し訳ないけど、僕、たぶん無理ですって断ったりしてました(笑)。CDデビューしてからですね、ちゃんとボイストレーニングとかしなくちゃって思い直したのは。のど飴をなめれば声は出ると思い込んでたので、何度も人前で、プロのステージで、声が出なくなるような失敗を重ねて、自分の甘さを思い知らされた1年間でしたね。
──このCDデビュー曲「TRANSFORMER〜Dream Again」(作詞:YOFFY 作曲:YOFFY & IMAJO 編曲:サイキックラバー & 川瀬智)の時点で、作詩・作曲・編曲も手掛けられていますね。パフォーマーとは別の、「アニソン作家」としてのサイキックラバーの一面が、すでに発揮されていたわけですが……
YOFFY 僕はアニソン界に行くにあたって、いくつか決めたことがあって。その1つが「自分たちで曲を作る」ということですね。やらされてるものではなくて、自分たちが仕掛けてるんだぜ、っていう形を大事にしたかったんです。もう1つは「絶対にタイトルを叫ぶ」ですね(笑)。これは当時、タイアップ系の、スタイリッシュだけど作品との関連性が感じにくいアニソンが多かったことへの反発ですね。それともちろん、自分たちが子どもの頃に聴いてきたアニソンや影山ヒロノブさんのアニソンがそうだったから絶対にそうすべきだ、逆にタイトルを叫ばないと、この世界で長くやっていけないはずだ……と感じていたからです。だからトランスフォーマーの話いただいたときも、どうやって「トランスフォーマー」って言葉を入れ込もうか、ずいぶん考えましたね。
先ほど、2000年ころに時代が切り替わったっていう話になりましたけど、専業の作詞・作曲家の時代から、シンガーソングライターの時代に切り替わったような流れもありましたよね。与えられたものを歌うんじゃなくて、歌いたいものを自分で作る時代。アニメソングにもその波が来ていたように思います。僕らはそこまで深く考えていたわけじゃないけど、ちょうどそういうタイミングだったように思います。
──そして現在放送中のシリーズ最新作「トランスフォーマー アーススパーク」で、20年を経て再び主題歌を担当するというめぐり合わせがやってきましたが……
IMAJO いいタイミングで戻ってこれてうれしかったですね。説明しやすいし、宣伝しやすいし(笑)。
YOFFY いや、やっぱり結構感慨深いものがありますよ。ただ、トランスフォーマーってアニメ作品自体が、デビュー当時よりもさらに低年齢向けの内容になっていたので、そこはしっかり考えましたね。僕らは20年分歳をとってるけど、作品は20年前よりもさらにキッズ向けにしないといけない。しかも今回の主題歌は60秒間しかないのが最初からわかっていましたから。この60秒を最大限、チビっ子向けに割り切って作りました。でも、やっぱりコロナ禍という厳しい時期を体験し、そこを抜けてきたキッズたちに贈る歌なので、どうも以前のように無邪気に子ども向けらしく作れないというか、今回は何かいろんなこと考えてしまいましたね。結果的には家族愛なんかも含めた、いい世界が描けたと思っていますが。
──そしてそのすぐ翌年には、東映スーパー戦隊シリーズ「特捜戦隊デカレンジャー」のオープニングテーマへの大抜擢とつながりますね。
YOFFY トランスフォーマーでお世話になった日本コロムビアさんから、コロムビアさんのアニソン・特ソン部門の大きな柱でもある、スーパー戦隊シリーズにお声かけいただきましたけど、こんなデビュー間もない新人によくまかせてくれたなぁと、しみじみ思いますよ。「百獣戦隊ガオレンジャー」(2001)の山形ユキオさん、「忍風戦隊ハリケンジャー」(2002)の高取ヒデアキさん、「爆竜戦隊アバレンジャー」(2003)の遠藤正明さんとベテラン・実力派が続いてましたし、なんと言ってもエンディングがささきいさおさんですから、逆にオープニングは新人で行こうという話になったようです。
ただ、僕は前の年に行われた「デカレンジャー」の主題歌コンペに参加しているんです。歌手ではなく、作曲家として。アーティストとして生き残っていくためにいろいろやらなくちゃと思って、番組資料をもらって90秒のデモ曲を作って応募しました。見事に落ちましたけどね(笑)。あぁ、落ちちゃったか~と思ってたら、まさか「歌わないか?」と連絡があって。びっくりですよね。そりゃ二つ返事でお引き受けしますよ。でも、子どもたちにウケるかなぁ~? エンディングのささきさんに食われちゃわないかなぁ~? とすごく心配してました。さっき言ったように、自分の歌にも自信なかったしね(笑)。
IMAJO でも、番組が始まってみるとすごく評判がよくて。録画で見てる人たちからも「主題歌を飛ばさないで見てるよ!」って言われてうれしかったなぁ。後、宇宙警察S.P.Dと同じデザインのステージ衣装を僕たちも作ってもらったんですよ。それで結構イベントやライブもやらせてもらって。これを作ってくれたからには、番組本編にも出られるんだとばっかり思ってたんだけど……。
YOFFY 結局1回も出られず(笑)。ただ、後楽園スカイシアターのデカレンジャー・ショーのCMには、その衣装で出させてもらったけどね。「サイキックラバーも待ってるぜ!」みたいなカッコいいやつ。後、「デカレンジャーアクション」「SWAT ON デカレンジャー」なんかの挿入歌を作らせてもらったのも大切な経験でした。90年代には自分たちのやりたい音楽をやる隙がなかったと話しましたけど、それをようやくフルに発揮できる場所を得たというか。あ、やっぱりハード・ロックをやろう、そしてチビっ子たちにハード・ロックを啓蒙しよう!みたいな変な使命感に目覚めた感じがありました。僕の中では「デカレンジャーアクション」はジャーマンメタル、「SWAT ON デカレンジャー」はLAメタルへのオマージュのカタマリなんです。ビジュアル系とは違う、日曜の朝に聞いても爽快なスーパー戦隊風のハード・ロックを編み出せたんじゃないかと思ってます。
──「●●アクション」という名前の挿入歌は、「仮面ライダー」から続く東映ヒーローとコロムビアの伝統でもありますし、「デカレンジャーアクション」は、そのハードなサウンドとは裏腹に、内容は「数え歌」という、これも昭和の特撮ソングのような仕掛けでしたね。
YOFFY 実は「●●アクション」の伝統って、作ってるときは知らなかったんですよ。アクションのときに流れる曲なんだ、くらいのイメージで。そういう作法も全然知らないまま作ってました。「数え歌」風の歌詞に関しては、実は、あの天童よしみ(吉田よしみ)さんの「いなかっぺ大将」主題歌「大ちゃん数え唄」をイメージして作りました(笑)。好きなんですよね「数え歌」。文化として。
──その後もスーパー戦隊シリーズには、アーティストと作家の両面で関わっていくことになりますが、特に印象深かった作品などはありますか?
YOFFY 「魔法戦隊マジレンジャー」のエンディング「呪文降臨〜マジカル・フォース」(作詞:岩里祐穂 作曲:YOFFY 編曲:サイキックラバー・大石憲一郎 歌:Sister MAYO)は作家として忘れがたい1曲ですね。あれだけチビっ子が一緒に踊ってくれて、愛されて。本当に大きな自信になりましたよ。後はもちろん、デカレンジャーでできなかったアーティストと作家、両面での参加を達成できた「侍戦隊シンケンジャー」(作詞:藤林聖子 作曲:YOFFY 編曲:Project.R(大石憲一郎・サイキックラバー) 歌:サイキックラバー (Project.R))なんですけど、これも実は最初は作曲家としてのコンペ応募が先なんです。なので自分で作っておきながら、「こんな変な曲、誰が歌うんだろうなぁ?」って思ってて(笑)。そうしたらまさか採用されて、しかも歌もよろしくって言われて。
実は、どうせ自分が歌うわけじゃないからって、自分のキーよりも高い音程で作っちゃったんですよ。だから、下げさせてもらえますよねって尋ねたら、「このキーが気に入って採用になったんだから、これで歌ってほしい」って言われちゃって(笑)。それでハイトーンに苦しみながら歌ったのが「侍戦隊シンケンジャー」というわけです。
──主題歌「侍戦隊シンケンジャー」は、次々と転調を重ねていくトリッキーなアレンジで、スーパー戦隊主題歌の新境地を切り開きましたね。
YOFFY あれは、「プリキュア」シリーズの主題歌に学んだんです。Aメロ、Bメロ、サビと、万華鏡のように景色がカラフルに変わっていく、あの感じをぜひ戦隊主題歌でやってみたいという、作曲家としての意欲で突っ走って作った歌ですね。だから本当に自分が歌うとは思ってなかったんです(笑)。
IMAJO 2010年代は毎日のようにあちこちのスタジオを飛び回って、深夜や早朝までリハーサルとレコーディングを繰り返してましたね。今はネット環境がよくなってデータのやり取りが簡単に速くできるようになったおかげで、自宅でレコーディングしてデータを送ることが普通になってきましたけど。この頃は本当に目まぐるしい日々でした。
そんな中でかなりお世話になったのが、作編曲家の大石憲一郎さんですね。「侍戦隊シンケンジャー」も共同編曲してるように、ほぼ一緒に活動していた時期もありました。仕事ももうツーカーですよね。コレコレこういう感じでよろしくね、はいOKみたいな。もう電話もなくて、LINEを2行ぐらいで依頼した内容が、譜面になって返ってくるみたいな(笑)。無数の作曲・編曲・演奏の経験があってこそ、そういう今に結びついている感じです。しかも彼はもともとドラマーなので、ドラムの打ち込みに無理がないというか、すごく理にかなってるんですよね。
YOFFY 先ほど触れた「デカレンジャー・アクション」で初めて一緒に仕事をしたんです。この曲が彼にとっても最初のメジャータイトルだったんですよね。だから本当に2000年代の初めから一緒に成長してきた感覚です。もうほとんど「3人目のサイキックラバー」と言っても過言ではないですね。今では彼のほうが大作家さんになっちゃったので、本人がイヤじゃなければですけど(笑)。デカレンジャーはとにかく作品自体が面白かったですよね。僕も何度見返しても本当面白いなと思いますし。
IMAJO オマージュネタとかも多くて、幅広い世代に刺さるんですよ。だから子どもだけじゃなくて、その親たちも楽しんでましたよね。当時、イベントとかでもよくそう言われましたよ。「お父さんのほうが夢中になってるんだ」とか。だからこそ、10年後・20年後にちゃんと新作が作られていくのも納得というか。
──その20周年記念作品である、Vシネクスト「特捜戦隊デカレンジャー20th ファイヤーボール・ブースター」も6月7日に劇場公開されましたね。
IMAJO とにかくすごいのは、役者さんたちが何も変わらないところですね。20年もたってたら、ちょっと見た目が変わってる人がいるのが普通のはずなのに、皆、本当に全然変わらない。すばらしいですよね。
YOFFY 今回のために主題歌「特捜戦隊デカレンジャー」を新録しています。作品を見た人にだけ、「あっ!」と気付いてもらえるような、今回の本編の内容に絡んだ新しいアレンジも含んでますので、これはぜひ本編とともに楽しんでほしいですね。
あと、先ほどのエピソードにもつながりますけど、コーラスに坂本英三さんをお呼びしています。初めて僕の仕事に英三さんをお迎えできました。僕の切り札として、いつか何かをお願いしたいと思っていたんですけど、今回のデカレンジャー20thの機会しかないと思って、「♪ゲット・アップ・デカレンジャー」なんかの合いの手コーラスをすべて英三さんに歌っていただきました。僕が道を踏み外したきっかけは英三さんですからね(笑)。ある意味、恩返しのようなものです。
──そして7月21日には、サイキックラバー ワンマンLIVE「EMERGENCY CONTACT 2024」の開催を控えていますね。
YOFFY 久しぶりのワンマンライブですが、今回はトランスフォーマー40周年、デカレンジャー20周年なので、もう躊躇なくアニソン・特ソン寄り、タイアップ曲オンパレードのセレクションで、挿入歌もバンバン演奏する予定です。
IMAJO サイキックラバーのライブに行きたい、行ったことないけど行ってみたい……っていう声はよく聴くんですよ。潜在的にそう感じててくれている人は多いはずなんです。だから今回こそは、ぜひ足を運んでもらいたいですね。テレビで聴いていたあの曲を、生演奏で体験できる機会はなかなかないので。自分たちで言うのもなんですけど、やっぱりライブならではの感動って、あると思うんです。2007年ころからライブではずっとお世話になってるベテラン名ドラマー・そうる透さんももちろん参加されます。興が乗ると、原曲からは考えられないようなとんでもない音数とか、ものすごい味付けのドラムプレイが飛び出すので、そこも聴きどころですよ。
YOFFY サイキックラバーの曲って、リズムトラックは打ち込みのことが多いですから、それがライブで生のドラムに置き換わるとどういう化学変化が起きるのかは、ぜひ体験していただきたいんですよね。こればっかりはライブ会場でしか味わえない楽しさだと思いますので。
──活動歴20年を超えて、「子どもの頃、聴いてました!」というファンの声も、そろそろ聞こえてくるのではないでしょうか?
IMAJO すでにめちゃめちゃ聞いてますよ。イベントのときにスーツの青年がスッと現れて、「こんな小っちゃい頃から憧れてました!」とかね(笑)。
YOFFY 当時、デカレンジャー・ショーの握手会のときにも、スタッフの偉い人に、「この子たちが大人になるまで、サイキックラバー続けないとダメだよ」って言われてたの、思い出しますね。
IMAJO それはたぶん「大人になって、自分でお金を使えるようになるまで」って意味だよね(笑)。
YOFFY ヤラしいな(笑)。
──先ほども「チビっ子たちにハード・ロックを啓蒙する使命感」というお話がありましたが、実際、生まれて初めて触れるハード・ロックのサウンドは、サイキックラバーのアニソン・特ソンだった……という世代も生まれているはずですよね。
YOFFY そうだとうれしいんですけどね。実際、見た目バリバリのメタラーの兄ちゃんが、小声で「子どもの頃からずっと好きだったんです!」みたいにデカレンジャーのCD持ってくるパターンとかチラホラありますからね(笑)。僕らはメタル雑誌に載るわけでもなく、「声優グランプリ」にはよく載ったけどね(笑)。なかなかそういう、ハード・ロックのアーティストとしての影響力みたいな視点で、僕たちを取り上げてくれるメディアもなかったですし。
IMAJO でも、その「使命感」のおかげか、意外と隠れファンは多いんですよ。ぜひ、隠れてないで出ておいでよって思いますよ(笑)。
──最後になりますが、デカレンジャー20周年を越えて、さらに次のフェイズを目指すサイキックラバーの今後を、ぜひ語っていただきたいのですが。
YOFFY やはり最近、「懐かしい」って言われることが飛躍的に増えました。これだけ芸歴を重ねていくと仕方ないかもしれませんが。でも、「懐かしい」って思ってくれた人にこそ、現在進行系のサイキックラバーを味わってもらいたい。そのための楽曲作りとライブ活動をこれからもガンガン続けていきたいと思います。「懐かしい」だけじゃないよってところを見せつけたいですね(笑)。
IMAJO そうだよね。確かに「チビっ子が初めて聴くロックサウンド」の要になるギターを弾いてるのは僕なんだ、っていう自覚をしっかり持って、責任のある演奏していきたいですね。サイキックラバー以外の場所でも演奏する機会も多いですが、それでもやっぱりサイキックラバーのギタリストという看板があることは忘れずに、今後も精進していきたいですね。
──本日はお忙しいところ、ありがとうございました。
(取材・文/不破了三)
【イベント概要】
■サイキックラバー ワンマンLIVE「EMERGENCY CONTACT 2024」
・公演日:2024年7月21日(日)
・会場:HOLIDAY SHINJUKU (声出しOK)
〒160-0021 東京都新宿区歌舞伎町2丁目24-3 新宿 興和ビル B2F
・時間:OPEN 16:15 / START 17:00
・入場整列:16:00より
<出演>
サイキックラバー (YOFFY/IMAJO)
サポートメンバー:Dr.そうる透/Key.TACOS NAOMI/Ba.田中亮輔
<チケット>
前売り券 6,500円(税込)
当日券 7,000円(税込)
※ドリンク代別途必要
※小学生以下のお子様入場無料
【一般チケット受付】先着
チケット番号: C001〜
受付URL:#
受付期間:2024/4/27(土)12:00〜公演前日23:59まで
※受付にはパスマーケットへの会員登録(無料)が必要です。
【開場前の撮影会 概要】
開場前にサイラバと写真が撮れる撮影会も実施♪
スマフォ・チェキから撮影方法をお選びいただけます。
「ご希望のショット(3ショット・YOFFYorIMAJOとの2ショットなど)」
1枚¥1,000税込 にて販売
お一人様10枚まで (チェキは通常サイズとなります。現金払いのみ)
※参加チケットの事前販売はありませんので、複数枚ご購入希望のお客様は、ご希望のショットをお客様自身で事前に紙に書いて、スタッフにお渡しください。(受付にも紙とペンをご用意いたします。)
整列開始:14:45 撮影会開始:15:00〜
列が途切れ次第終了(最長15:45まで)
※参加希望のお客様は15時までには整列いただきますようお願いいたします。
・主催・企画・制作:サイキックラバー/サイキックマニア (株式会社ライフタイム/MOJOST )
・協力:株式会社ブライトイデア/HOLIDAY SHINJUKU
・お問合せ:株式会社ライフタイム/MOJOST
・Mail:info@mojost.co.jp
プレゼント概要
サイキックラバー ワンマンLIVE「EMERGENCY CONTACT 2024」ペアチケットを抽選で1名様にプレゼント!
今回、インタビューを記念して、ペアチケットを抽選で1名様にプレゼント。
<応募要項>
・応募期間:2024年6月27日(木)~2024年7月4日(木)23:59
・当選人数:1名
・当選発表:賞品の発送をもって発表にかえさせていただきます
・賞品発送:順次発送予定
・応募方法:以下の専用応募フォームにて受付
- <注意事項>
- ・応募には会員登録(無料)が必要です。
- ・応募はひとり1回に限らせていただきます。
- ・抽選結果・発送状況に関するお問い合わせには応じられません。
- ・当選された賞品もしくは権利を第三者に譲渡・転売することを禁じます。
- ・カカクコムグループ社員、および関係者は参加できません。
- ・賞品の発送は国内に限らせていただきます。
- ・入場は一般チケットのお客様を案内した後となります。ご了承ください。
- ・当イベントは天候その他、やむを得ぬ事情により中止になる可能性がございます。
- ・下記の場合は、当選を無効とさせていただきますので、ご注意ください。
- 抽選後に当選者の方には、メールにて当選のご連絡をいたしますのでそのお返事が指定の期日までにいただけない場合
- ご応募に関して不正な行為があった場合