【アニメコラム】キーワードで斬る!見るべきアニメ100 第4回「コンクリート・レボルティオ~超人幻想~」

アニメファンの飲み会というのは得てして、大喜利というか連想ゲーム的なものになりがちだ。「○○には××なシーンが出てくるよな」と誰かがひとこと言えば、ほかの誰かが「××なシーンといえば△△を忘れちゃいけない」と返してくる。アニメとアニメはそんなふうに見えない糸で繋がれている。キーワードを手がかりに、「見るべきアニメ」をたどっていこう。

コンクリート・レボルティオ~超人幻想~」の第2期「THE LAST SONG」がスタートした。物語はいよいよここからが本題。超人を管理しようとする超人課から離れ、超人を守ろうとする人吉爾朗の物語は果たしてどこへ向かうのか。

ご存じの通り、「コンクリート・レボルティオ」(以下、コンレボ)では、神化という元号が使われている。神化とは大正から改元する時に候補になっていた名前のひとつで、つまり「コンレボ」の世界は、超人の存在するもう“ひとつの戦後”を描いている作品なのだ。

神化に存在する“超人”とは、さまざまな特殊能力を持った存在のこと。しかもそれぞれの“超人”たちは、昭和40年前後にマンガ・アニメ・特撮などの中で描かれてきたキャラクターたちを参照しつつ造型されている。

超人課のメンバーたちを見てみると、星野輝子は「魔女っ子」だし、鬼野笑美は「妖怪」、風郎太は「オバケ」で、芳村兵馬は「獣人」であり「歴史警察(一種のタイムパトロール)」でもある。このほか超人課以外にも「人間と一体になった宇宙人」「ロボットの刑事」なども登場する。

 

さらに「コンレボ」で参照されているのは、フィクションのキャラクターだけではない。昭和40年代の日本に起きた事件や当時の世相、流行なども、神化なりのアレンジを加えて作品の中に取り込まれている。たとえば第1期第13話のクライマックスで描かれた新宿での騒動。これは昭和43年10月に後に「新宿騒乱」と呼ばれる出来事があったことを踏まえ、事件の内実を「コンレボ」流に描き変えて物語の中に組み込んだものと思われる。

つまり「コンレボ」の描く“神化”とは、昭和の「ブラウン管」の“むこう側”と“こっち側”が渾然一体となった世界で、それはつまり「TVっ子たちが見た(受け取った)昭和史」にもなっている。

本作には「正義」という言葉がキーワードとして繰り返し登場し、それぞれの立場から、否定されたり、肯定されたりする。これはつまり「昭和のTVヒーローたちが語った(絵空事の)正義」と「現実」の間に、どういう橋がかけられるか、という問いかけでもあるのだ。

 

というわけで今回のキーワードは「もうひとつの戦後」を描いているアニメ。

2004年に3度目のアニメ化を果たした「鉄人28号」は、「コンレボ」が題にとった昭和40年代よりさらに前、昭和30年代を舞台にしていた。リメイクにあたり、原作が連載されていた時代を舞台にすることで、作品世界にリアリティを与えるのが目的のひとつだったと思われる。

作中には、戦時下で行われた動物園での薬殺や、帝銀事件(昭和23年)、下山事件(昭和24年)といった戦後を象徴する事件を思わせるシチュエーションを取り入れた場面も登場する。また、シリーズのクライマックスは、建設中の黒部ダム(昭和31年着工、昭和38年完成)が舞台となっている。戦争の遺産・鉄人28号と、戦争の記憶に縛られない正太郎という組みあわせを踏まえ、物語は自然と「太平洋戦争のもたらした負の遺産」が主題になることが多かったのが本作の特徴だ。

 

昭和30年代というと「人狼 JIN-ROH」も忘れてはいけない。こちらは作中では細かく説明されていないが、裏設定としてドイツ占領化になった日本ということになっていて、作中の時代は昭和でいうと37年に相当するという。なんでも、第二次世界大戦がドイツ・イタリア枢軸国と日本・イギリス同盟の戦い(アメリカはモンロー主義により不参加)ということらしい。冒頭の警察ヘリにドイツ語で「Polizei」(警察)と書いてあるのが見える。

映画は、反政府ゲリラの少女・雨宮圭と首都警特機隊の青年・伏一貴の出会いを、じっくりと描いている。

 

そして最後は「雲のむこう、約束の場所」。これは昭和30年代や40年代ではなく、1996年の物語。この世界の日本は、北海道が「ユニオン」に占領されたことで、分断国家となっている設定。北海道は「蝦夷」と呼ばれるようになり、そこには「ユニオンの塔」というとても高い塔が建設されていた。

青森の中学3年生、藤沢浩紀と白川拓也は、白い小型飛行機を自作しようとしている仲間。2人は国境となっている津軽海峡を越えて、ユニオンの塔まで飛ぶことを夢見ていた、そんな2人の飛行機作りに興味をもったのがヒロイン、沢渡佐由理。しかし彼女はある日、2人の前から姿を消してしまう。この作品では「政治的な壁=分断国家」を入れることで「塔への精神的な遠さ」が強調される効果を生んでいる。

 

「もうひとつの戦後」を扱う作品は、現在の我々を映す鏡のようなもの。果たしてその鏡にはどんな姿の「自分」が映っているか。

(文/藤津亮太)