「まだまだ造形の世界は深い、底知れない」と思わせてくれる造形作家が、広島県尾道市に暮らす怪奇里紗(かいきりさ)さんだ。小松崎茂が1970年代に児童向け図鑑に描いたイラスト「イルカがせめてきたぞっ」をフィギュア化して一気に人気を集めた怪奇さんだが、それ以外にも歌川国芳の版画「相馬の古内裏」、石原豪人が日本妖怪図鑑に描いた「河童」「女郎ぐも」、葛飾北斎の浮世絵「百物語 お岩提灯」など、独特のモチーフを立体化している。
また、怪奇さんは「日本一早く“3日間”で原型からガレージキットを作る初心者向け教室」を精力的に開講しており、ガレージキット本来の「自分で手づくりした造形作品を自分の手で複製する」根源的な楽しさを世の中に広めている。そんな自由気ままな活動を続ける怪奇里紗さんとは、一体どんな人なのだろう?
「……つまり、気持ち悪いものが好きなんだね?」 旦那さんのアドバイスで造形開始
── 怪奇さんは、京都出身だそうですが?
怪奇 京都の美術大学に通っていて、卒業してから2年半ぐらい京都のグラフィックデザインの会社で働いていました。その会社を辞めてから、結婚して東京へ引っ越しました(夫はイラストレーターの北原功士氏)。その頃、ガレージキットやフィギュアの原型師になりたくて、旦那に「どうすればなれると思う?」と相談しました。「とりあえず、ワンダーフェスティバルに出てみたら?」「版権を取得しなくても売っていい題材を選んだら? それと、自分のカラーを決めたほうがいいよ」と旦那にアドバイスされ、私の好きなものを列挙していきました。虫、エイリアン、怪獣や恐竜などです。「つまり、気持ち悪いものが好きなんだね?」「ああ、そうかもしれない」といったやりとりがあり、そこで葛飾北斎の「富嶽三十六景」と同じぐらい人気があるのに、誰も立体にしていない歌川国芳の「相馬の古内裏(そうまのふるだいり)」を作ればいいじゃないか、と提案されました。ですから、旦那の意見を聞きながら初めて作ったガレージキットが「相馬の古内裏」です。
── それからまた、会社に勤務するようになったそうですね。
怪奇 はい、特殊造形の会社とフィギュアやグッズを開発しているメーカーに入社して、いろいろなことを学ばせてもらいました。その間も怪奇里紗としての活動は続けていたのですが、新型コロナウイルスが流行りはじめて、都会に住むのが怖くなってきました。そこで、母の実家のある広島県福山市に夫婦で引っ越しました。だけど、明治時代の家具がそのまま残っているような日本家屋で、ムカデに負けてしまって……。
── ムカデが出るような古い家だったんですか?
怪奇 そうなんです。2日続けてムカデに刺され、家の裏に建っていた小屋が台風で潰れてしまったり、その家で生活していくのが不安になってきました。だけど田舎暮らしが好きなことがわかり、旦那と一緒に原付バイクで広島県内を探検していて、夜の尾道の港に着きました。「ここ、めちゃくちゃいいところじゃん!」「ここが尾道なのか~」と2人とも気に入ってしまい、大林映画を何本か見ました。
── 大林宣彦監督が、尾道市を舞台に撮ったシリーズですね? どれが好きですか?
怪奇 私は「ふたり」が好きです。いま住んでいるところは尾道市内の漁村に近いところで、近所の90歳ぐらいのおじいさんに、とても親切にしてもらっています。漁師は「頑固で怖い」というイメージを持っているかもしれませんが、ちっともそんなことはありません。
── そうした古い家だとか、田舎暮らしが作品に影響しているのでしょうか?
怪奇 もともと、映画が好きだったし、妖怪や特殊メイクなどに興味がありました。それと、父がお寺などの欄間を作る職人だったんです。今でも父は現役で働いていて、私は小さい頃から自宅にある工房に入って、いろいろと作らせてもらえました。その経験は大きかったと思います。椅子でも机でも、この世の中にある物はすべて誰かが作っているわけですよね。それで「どんな物でも作れる」という感覚が幼いころからあって、だんだん「自分は作ることが好きなんだ」という気持ちが形となって、今に繋がっているのだと思います。
── では、ネットで話題になった「イルカがせめてきたぞっ」のフィギュアについて聞かせてください。